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もくれんの家発行のパンフレット紹介

「中国友好の旅」パンフレット

2004年
2月発行
A4版
36ページ

1部:300円
パンフレット「中国友好の旅」

「歴史を学びながら中国を知る友好の旅」報告集の発行にあたって
 私たちは2003年10月9日(木)から10月16日(木)にかけて「歴史を学びながら中国を知る友好の旅」をおこないました。
 この「友好の旅」は、NPO法人「国際交流と福祉の家」(理事長・八木ヶ谷妙子、2003年4月発足)の国際交流活動の一環として取りくまれました。八木ヶ谷の長年にわたる,中国の人々との熱い民間交流の歴史と実績があって実現したものです。
 今回の旅行で中国の多くの方々と交流できました。これを今後の国際平和の礎(いしずえ)とし、さらに大きな国際交流を実現したいと思っています。
 ここに、この「友好の旅」を記録に残すことにしました。日本の民衆が中国と真の友好関係を築き、信頼と平和の道を広げるための一助となることを心から願っています。
 2004年2月 NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(愛称・もくれんの家)

 (内容の一部抜粋)

1.「歴史を学びながら中国を知る友好の旅」を終えて 八木ヶ谷妙子
「事実に基づいて真理の道を拓く」壮大な理念を「現代化」として甦った中国が、
着々と国作りに成果を挙げている
私たちは深い敬意を表してこの国を訪問した
世界の先進国と名のる国々が混迷に苦悶しているなかで、この国は元気に進展を続けている
私たち一行は熱い歓迎に恐縮した
かつて私たち日本はこの国を土足で狼藉を極めた恥ずべき過去をもっている
私たちは、あらためて侵略の愚かな罪を噛みながらこの国の一週間の旅をした
敗戦の賠償について、故・周恩来先生は言われた
 「賠償は、日本列島すべてをもらってもまだまだ足りない。
 然しそれは日本人民が負うことになる。
 日本人民は中国人民と共に戦争に引き込まれた被害者だ。
 日本人民は中国人民と共に手をとって明日を拓く盟友だ。
 さあ明日に向かって!」と
何という 偉大な言葉だろう
何という 崇高な言葉だろう
理念を失えば道は行き詰まる
高い理念は永遠の光だ
私たちは親しくこの国を訪問して、共に今日を生きるという優しい友情を実感して帰った
 2003年10月30日 八木ヶ谷妙子

2.インタビュー「私は、中国に熱い思いを抱きつづけています」 八木ヶ谷妙子

3.中国旅行記
 私たちは上海市から南京(なんきん)市、そして安徽(あんき)省の合肥(ごうひ)市と淮南(わいなん)市というコースで、八木ヶ谷が親交を結んできた人々を何人も訪ねました。また、南京大虐殺記念館などを見学して中国と日本の歴史を学んできました。以下は、その見聞記です。
....

4.旅に参加して(感想文)
 父が犯した戦争犯罪を謝罪しながら
 中国の印象
 「暗い眼」と「信じる瞳」について
 人生の転機になるすばらしい旅行
 国境を越えた友情
 中国旅行2003年
 豊かさとは? 農村を見学して感じたこと
 国際連帯を教えてくれた中国旅行
 万人坑と中国残留孤児に想う
講演「二つの祖国を生きる」パンフレット

2005年
4月発行
A4版
34ページ

1部:300円
講演「二つの祖国を生きる」
 目次

 アンニョンハシムニカ。こんにちは
 今日のテーマは「韓国理解」と「在日理解」
 私は東大阪生まれの在日二世
1 「『二つの祖国』を生きる」私の生き方
 1)「韓流」「ワールドカップ」「キムチ」
 2)先達の地道な日韓交流運動
 3)「アンニョン」・「安寧」の意味
 4)「チョッポ」(系図)について
 5)韓国人の情緒
 6)韓国の旗は太極旗(テグ旗)
 7)韓国の花(国花)はムクゲ
 8)韓国の宗教
 9)韓国人の「情」や「孝行」
 10)言葉について
 11)南北分断―38度線を境に、いまだ戦争状態
 12)韓国人の感情表現はストレート
 13)韓国人の「恨(ハン)」とは
 14)歴史認識と「靖国」「教科書」問題
 15)田沢湖ダム建設と姫観音
 16)光州ビエンナーレと長崎の被爆地の中で生き残った一本の柿の木
 17)父母の故郷・韓国で切られた桜の木の話し
 18)アメリカから日本に送られてきたハナミズキの話し
2 在日について
 1)在日の現状
 2)さまざまな在日差別
 3)いまだに認められていない参政権
 4)「在日」の歴史=植民地支配・強制連行・差別
 5)差別と闘って権利を獲得してきた在日の闘いと誇り
 6)「韓流」「日流」について
3 国際交流について思うこと
 1)漢字を伝えた王仁(ワニ)博士の功績
 2)日本の天皇の祖先について
 3)中国・朝鮮との交流を大事にした空海
 4)徳川鎖国時代の「朝鮮通信使」と雨森芳洲
 5)人間「浅川兄弟(伯教・巧)」の功績
4 これからの国際交流のあり方
 1)正しい歴史認識と文化の理解こそ平和の礎
 2)国の垣根を越えて真の交流をつくりだしていくこと

講演後の質問・討論
・・・(本文から抜粋)
...今日の大きなタイトルは「韓国理解」。韓国人、韓国という国を理解する基礎的なことをお話をして、2番目には、「在日」をどういう具合に皆さんが理解しているのか、在日の理解について話をしてみたいと思います。それから3番目は、皆さんがNPOで社会貢献をなさっておりますので、国際交流についての私なりの考え方。...
「韓国友好の旅」パンフレット

2005年
10月発行
A4版
44ページ

1部:300円
パンフレット「韓国友好の旅」

 私たちは2005年5月12日(木)から15日(日)にかけて「歴史を学びながら韓国を知る友好の旅」をおこないました。一昨年の「中国友好の旅」に続く、国際交流活動の一環として取り組みました。独島(トクト、竹島)問題、靖国問題、歴史歪曲(わいきょく)の教科書問題などをめぐって、韓国・朝鮮、中国などで日本にたいする強い怒りが広がっていたなかで、全羅南道(チョルラナムド)の光州(クァンジュ)と霊巌(ヨンアム)を訪れました。いろいろと見聞し、感動を覚え、また、さまざまに考えさせられることの多い旅でした。そこで、この旅を記録に残すことにしました。日本の民衆が韓国・朝鮮の民衆と真の友好関係を築きあげることができ、信頼と平和の道を広げるための一助となることを心から願っています。

 (内容の一部抜粋)

私と韓国 報告集「韓国友好の旅」を発行するにあたって
1923年、私は小学4年生
9月6日頃、関東大震災の直後のこと
農村の共同墓地で一人の朝鮮人の犠牲現場を目撃している

それ以来、朝鮮と聞くと、理由もなく涙が湧いてくる
私は91歳を過ぎている
この犠牲者は私の加年と共に私の中に生き続けて消えようもない
村人が言っていた
アイゴーといって死んだとよ
この人はいったい、どこからどのようにしてここに来たのか
日韓併合の歴史記録は1910年
1913年生まれの私だ
私の子供のころの朝鮮人の記憶がたくさんある
アメ屋、屑物買い、土木工
炭鉱労働者のひどい扱いやその悲劇も
村人からささやきのなかで聞いている
韓国といえば悲しい!

これが私と韓国の縁だった
....(ほか)  2005年6月 八木ヶ谷妙子

韓国旅日記 (豊富な歴史の資料など)
仁川(インチョン)空港で呉(オ)きょうだい4人と合流
「竹島」問題で「仙台路」が「光州路」に変わった
テープカット式典に参加
歓迎会で呉永順(オ・ヨンスン)さんと八木ヶ谷が挨拶
「アンニョンハシムニッカ」、そして桜の植樹が中止になったいきさつ
光州は食の街、義の街、文化・芸術の街
全羅南道(チョルラナムド)の由来
....(ほか)

旅に参加して
河(ハ)さんと出会い、韓国と出会い
日本と朝鮮と中国の三国を、立体的に考察することが重要だと気付いた
宋英玉(ソン・オンヨク)作「犬」の絵によせて
2005年、韓国光州
すばらしい韓国の旅
韓国旅行を終えて

メール E-mail:mokurennoie@ybb.ne.jp
〒166−0001 東京都杉並区阿佐谷北5−27−11
NPO法人「もくれんの家」(茅原まり)
TEL:090−5507−6262/03−3336−5367

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