もくれんの家 会報 |
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子) 東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367 E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp |
もくれんの家 会報 (2005年1月) ●第2号 (2005年10月) ●第3号 (2006年1月) ●第4号 (2006年4月) ●第5号 (2006年6月) ●第6号 (2006年11月) ●第7号 (2007年1月) ●第8号 (2007年3月) ●第9号 (2007年7月) ●第10号 (2007年9月) ●第11号 (2008年1月) ●第12号 (2008年4月) ●第13号 (2008年7月) ●第14号 (2008年10月) ●第15号 (2009年1月) ●第16号 (2009年4月) ●第17号 (2009年7月) ●第18号 (2009年10月) ●第19号 (2010年1月) ●第20号 (2010年4月) ●第21号 (2010年7月) ●第22号 (2010年10月) ●第23号 (2011年1月) ●第24号 (2011年4月) ●第25号 (2011年7月) ●第26号 (2011年10月) ●第27号 (2012年1月) ●第28号 (2012年4月) |
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「すてきないのち」
08年アメリカに端を発した大恐慌が日本をも直撃し、若者たちの職場を次々と奪う厳しい時代となりました。「派遣」「契約社員」など不安定な雇用形態が幅をきかせ、労働者の当然の権利が奪われています。仕事も住む所も取り上げるこの社会のあり方そのものに怒りを感じながら新年を迎えました。同時に、全世界で労働者民衆の怒りのデモやストライキが続発し、新しい社会に向けた歩みも確実に始まっています。
一方、「移送サービス部」は地域で助け合う活動として、熱心なボランティアさんに支えられてこれまで続けてまいりましたが、今年の3月には、いったん事業を中止することになりました。しかし、幸いにも「もくれんの家」にかわって二つの新しいNPOが誕生します。ご利用者様には、それぞれの移送サービスをご利用いただくようご案内しております。
昨年最後の「ニイハオ+アンニョン・パーティ」を通常より一週間早めて12月6日におこないました。「李吉純(リギルスン)さんが『枝川ウリハッキョ』を大いに語る』という集(つど)いに、会員や李さん縁(ゆかり)の在日朝鮮人の皆さんなど五十六人が「もくれんの家」に参集しました。李さんの体験をうかがい、その熱い思いに共鳴しながら、日本の労働者民衆が民族差別・排外主義とたたかい、在日の皆さんといかにして連帯・団結していくかを考える、確かな一歩を築きました。 |
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●北海道朝鮮学校生徒たちの感動のドキュメンタリー 「ウリハッキョ」を見て考える ![]() 10月のニイハオ+アンニョン・パーティは表記のドキュメンタリー映画を上映(10月11日。あんさんぶる荻窪)しました。 「ウリハッキョ」とは朝鮮語で「私たちの学校」を意味します。韓国の監督キム・ミョンジュンが北海道の朝鮮学校を3年間に渡って取材・撮影し、1年6ヶ月をかけて編集したのが映画『ウリハッキョ』(2006年制作)です。 「関東大震災における朝鮮人虐殺の真相糾明と名誉回復を求める日韓在日市民の会」の活動を続けるなかでこの映画のただならぬ評判を聞きました。釜山国際映画祭でドキュメンタリー部門最優秀作品に選ばれ韓国の上映会場は号泣の渦とか、日本でも自主上映の形で10万人を越す人びとが見たとか。 今春、「ウリハッキョ」の言葉の意味すら知らずに東京郊外で行われていた上映会に行き、私も感動を共有、上映を決意して提案することとなりました。 「もくれんの家」がある杉並・阿佐ヶ谷にも朝鮮学校(東京朝鮮第九初等学校)はありますが、正直に告白すると、いったいどんな学校なのか、そもそもどのように成り立っている学校なのか知りませんでした。チマチョゴリの制服を着ている生徒に対する通学途上での陰湿(いんしつ)ないじめがある、予算がなくて大変らしいなど、朝鮮学校について漠然(ばくぜん)とした情報しか持っていなかったのです。このドキュメンタリーを見て、そこに生きている子供たち、先生たちの生活の様、どんな喜びや苦しみ、葛藤(かっとう)があるのかを知ることができました。そして、子供たちの輝く笑顔や先生方の熱意に触(ふ)れながら、日本がどんな理不尽を在日の人びとに強(し)いているのか、ナイフを胸元に突きつけられるような事実の苛烈(かれつ)さを知ることにもなりました。 さて、当日は定員いっぱいの41名の皆さんが来場。「感動した。何も知らなかった」「日本と朝鮮のこと、歴史について知りたいと思う」など、感想を聞くことができました。「知らなかった」ことを知ったら、その次に歩みを進めよう、2009年もまた小さくても確かな一歩一歩をニイハオ+アンニョン・パーティで刻んでいきたいと思います。 (角取(かとり)) ●シュプレヒコールを共にして 「ピージョンギョジュク チョルペ トゥジェン! キョルジャ トゥジェン!」(「非正規職撤廃・闘争! 決死・闘争!」) 11月8〜11日、光るような紅葉のソウルに行ってきました。日本の11月労働者集会でアメリカ・韓国の労働者と交流するようになって5年。それに応えての訪韓も3年目。非正規職を組織する韓国民主労総の前夜祭と大会とソウル本部での理念交流会に始めて参加しました。 9日、本大会を前に金属労組ソウル支部ハイテックRCDコリアの高圧鉄塔篭城(ろうじょう)闘争の現場に行きました。篭城から26日目、ハンスト16日目です。キム・ヘジン支会長の「権利を守り生存権を守り、民主労総を守る闘いです」と高い空からのメッセージ。キョルジャ トゥジェン!です。14時すぎ、労働者大会に合流。大学路(テハンノ)いっぱいに続々と労働者が集まってきました(全体で約4万人が参加)。私の右横に女性の隊列が何百いや千人位だろうか、鍋の蓋を叩(たた)いて大いに盛り上げていました。動労千葉の田中委員長が「正規・非正規に分けられるのが間違い。労働者はひとつ」と発言。全学連も元気に発言しました。 韓国の労働者は「チョン・テイル烈士38年目」【チョン・テイルさんは1970年11月13日、軍事政権下の平和市場(ピョンファシジャン)(チョンさんが働いていた縫製職場)のあまりの劣悪な労働条件に抗議し「労働基準法を遵守(じゅんしゅ)しろ! われわれは機械ではない! 日曜日は休みにしろ!」などと叫んで全身にガソリンをかけ抗議焼身した。享年22歳】を総結集の日として労働者集会を開催、私も「労働者はひとつ」を実感し連帯できました。「この言葉を実践で」と言ったハイテックRCDコリア労働者の熱い言葉を胸に、平和市場とチョン・テイル像、光化門(クァンファムン)、西大門(ソデムン)刑務所歴史館、ソウル市庁前広場などを回りました。 最後に、安重根(アンジュングン)義士記念館に行って、植民地下のたたかいを初めて知ったとき、「決死」=「生きる」という意味が、一歩わかった気がしました。私もキョルジャ トゥジェン! (伊藤) ●話題の広場 在日・滞日外国人と一緒に「11月労働者集会」に参加しました 荒川みどり ![]() 昨年の11月2日、動労千葉など3労組の呼びかけで「全国労働者総決起集会」が東京の日比谷野外音楽堂で開催され、日・米・韓の労働者5700名が集まりました。春の京都・東京で開かれた「反外登法・反入管法集会」を共に闘い、交流を深めてきた在日・滞日外国人の皆さんも大勢参加しました。資本・当局による首切り・リストラ・賃下げ攻撃に対し、それぞれの職場で激しくたたかってきた労働者の元気な報告が続きました。難民をはじめ滞日外国人も登壇して「難民不認定など日本の過酷な入管行政とたたかう」と熱烈にアピールしました。 日本での昨年の難民申請者は1500名超、8月末現在で認定者44名、特別在留取得者279名です。日本政府は入管収容所への長期収容と退去強制で滞日外国人の排除政策をとり続けています。滞日外国人の皆さんは世界大恐慌のもとで生活と労働の場を真っ先に奪われています。しかし、こうした困難な状況にあっても、「生きさせろ!」とこぶしを上げる表情は解放感に満ちていました。また、息子と参加した在日朝鮮人女性は「団結という単語が血肉になるのを実感します。11月集会は、在日の私が一人の労働者として連帯できる仲間と出会う場です」と生き生きと語っていました。 正規職・非正規職や民族・国籍・国境の分断を越えて全世界の労働者はひとつ。在日・滞日外国人との団結をさらに深めた一日でした。 |