ホーム ->活動内容 ->「もくれんの家」会報 第12号


もくれんの家 会報
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子)
東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367

E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp


もくれんの家

会報

●第1号
(2005年1月)


●第2号
(2005年10月)

●第3号
(2006年1月)


●第4号
(2006年4月)

●第5号
(2006年6月)

●第6号
(2006年11月)

●第7号
(2007年1月)

  ●第8号
(2007年3月)

  ●第9号
(2007年7月)

  ●第10号
(2007年9月)

  ●第11号
(2008年1月)

  ●第12号
(2008年4月)

  ●第13号
(2008年7月)

  ●第14号
(2008年10月)

●第15号
(2009年1月)

  ●第16号
(2009年4月)

  ●第17号
(2009年7月)

  ●第18号
(2009年10月)

  ●第19号
(2010年1月)

  ●第20号
(2010年4月)

  ●第21号
(2010年7月)

  ●第22号
(2010年10月)

  ●第23号
(2011年1月)

  ●第24号
(2011年4月)

  ●第25号
(2011年7月)

  ●第26号
(2011年10月)

 ●第27号
(2012年1月)

 ●第28号
(2012年4月)

第13号(2008年7月)
●「もくれんの家」が芝居小屋になった!
―嵐のなか宋富子(ソンプジャ)さんの公演
 『愛するとき、奇跡は創られる』、無事成功裡に終了― 



宋さんの一人芝居は、部屋の中の48人と
庭で立ち見の20人もの人々を完全に魅了した


 5月10日(土)、阿佐ヶ谷「もくれんの家」で在日朝鮮人二世・宋富子さんの一人芝居公演がおこなわれました。ニイハオ+アンニョン・パーティとして、八木ヶ谷代表の居室であるサロンを会場に設定。通常のパーティで20人程度の参加者を迎えることはあるものの、窓を開け放ち庭も利用しながら立ち見も含めて60人を越す観客を想定してのイベントは初めてです。どんな次第になるかドキドキしながら迎えた当日の顛末(てんまつ)を、参加者の感想を交えてご報告します。

 春らしい陽気が続いていた5月初旬、突然気温が下がり嵐となったのが10日でした。予報をにらみながら事前にテントを設営、「関東大震災の朝鮮人虐殺」のパネル展示も、半数を屋内展示に切り替えて当日となりました。
 参加者はスタッフを含めて68名、交流会にも54名が残ってくれました。事前予約で80名を数えていたものの、悪天候、通常見込まれる当日キャンセル等考え合わせると、予想を大幅に越える皆さんが来てくださいました。宋さんが名誉館長を務める高麗博物館等の呼びかけで来てくださった方々は18名。「もくれんの家」スタッフの熱意に応えて「もくれんの家」に足を運んだ方も多かったのです。遠く大阪から駆け付けてくれた人、腰痛をおして来てくれた人、皆さんに感謝、感謝です。
 宋さんは在日としての人生を祖母の代からの三代史として語りかけます。すべて本当にあったこと、実人生を一人芝居として、これまで四百回を越す公演をおこなってきました。
 朝鮮半島から日本に渡って来たいきさつ、自身が小学生の頃から差別、いじめのなかで自殺を考えていたこと、出自(しゅつじ)を隠すために転職を繰り返したこと、「自分」を愛することができなかった女性が愛することを知り、自分自身であることの誇りを持つことで広い愛を持つようになったこと、日本と朝鮮の歴史を知り、伝える人になったこと‥‥‥。
 命をけずるようして演じられる渾身の舞台でした。
美しい歌声が響き、白いチョゴリに身を包んだ宋さんの体は何倍にも大きく見えました。


「朝鮮人虐殺」の
パネル展示も好評だった


 今回は「関東大震災の朝鮮人虐殺」にも触れたバージョンです。1923年、朝鮮人というだけで、いわれなく命を奪われていった人びとについても語ってくれました。八木ヶ谷代表は「虐殺」の目撃者です。真相究明と犠牲者追悼に向けての活動がきっかけとなって宋さんと「もくれんの家」との縁が生まれ、この公演が実現しました。 さて、皆さんの感想です。アンケートに寄せてくださった言葉の一部を紹介します。
 「何も知らないで生きて来てしまった。まずは勉強します。ありがとうございました」「辛い体験をお芝居にされているエネルギー、凄いと思いました」「感動しました。勇気をいただきました」「美しい表情と声、聞き惚れました」「素敵な語り口、背後にある歴史の事実、体験談にぐいぐい引き込まれました」「本当に近くでお話しを聞かせてもらい感動でした。同じ人間、差別なく、仲良く。世界中がそうなってほしい」


宋富子(ソンプジャ)さんを囲んで
大いに盛り上がった交流会


 交流会は「感激した」という言葉やアピールがあり、在日ミュージシャンの男性がアカペラで自作の歌をうたい、全員で「アリラン」「イムジン河」をうたうなどして、あたたかく密度の濃いひとときとなりました。八木ヶ谷代表も左肩の骨折の療養中にもかかわらず、交流会まで終始参加、皆さんと交流を深めることができました。

 「ふーっ!」、これはこの企画を終えたスタッフ一同の安堵(あんど)と幸せのため息です。
 宋さんが「もくれんの家で公演しよう」と声をかけてくださったこと、多くの人に「もくれんの家」の活動を知ってもらうことができたこと、そして事故もなく無事終了することができたこと、こうしたすべてに感謝し、そして、これから、さらに温かくて真面目で豊かな企画を活動に織り込んで行こうと思いを強くしました。
(角取(かとり))

●<お知らせ>関東大震災85周年 朝鮮人犠牲者追悼、8・9シンポジウム 

 この夏、八木ヶ谷代表も呼びかけ人のひとりとなっている<85周年シンポジウム>が東京・千代田区で開かれます。山田昭次、姜徳相(カンドクサン)、琴秉洞(クンビョンドン)、朝鮮人虐殺問題研究の第一人者である三氏に加え、韓国からも3・1運動の専門家であるハンシン大学教授・徐(ソ)紘一氏を迎えて講演が行われます。韓国テレビ局制作のドキュメンタリー『嗚呼 関東大震災』も上映、当時の生々しい映像や被害者家族の証言に触れることができます。
 朝10時から午後5時までの長丁場ですが、1923年、大震災の混乱の中、どんなことが、なぜ、起きたのか、その背景や、その後、この事件がどう語られ、あるいは語られて来なかったのか、を知るための絶好の機会です。
 「もくれんの家」のメンバーも実行委員として開催に向けて準備をすすめています。ぜひご参加ください。真相究明と被害者の名誉回復を求める契機になればと切に願っています。

■ 日時:8月9日(土)10時〜17時
■ 会場:在日本韓国YMCA(千代田区猿楽町2−5−5)
■ 参加費:1000円
●問い合わせ:「もくれんの家」角取(かとり)まで
       Tel:080-6707-6398 03-5809-4605

[シンポジウムのチラシはこちら(別ウィンドウで開きます)]

●ひびきあう心に包まれて
−08年銀河塾「浅川兄弟とポール・ラッシュの精神」に参加−
牧江寿子(まきえひさこ)



金さんと入江さんの歌曲に感銘

 小海(こうみ)線の車窓から新緑と藤の花を満喫しながら、今年もまた在日韓国人二世・河正雄(ハジョンウン)さんが主催する「清里(きよさと)銀河塾」(6月7〜8日)に参加しました(都合で8日の朝から参加)。
 淺川巧(あさかわたくみ)さんと民芸運動の先導者・柳宗悦(やなぎそうえつ)さんの深いつながりや柳さんが、「朝鮮の民衆を愛し愛されていた」淺川巧さんの人間性に感銘し尊敬しつづけていたことを詳しく学ぶことができました。
 1919年、朝鮮独立運動が起こった時、日本の文化人すべてが口をつぐんでしまう状況の中、「朝鮮独立運動」に理解を示す文章を読売新聞にのせた柳さんが「朝鮮民族博物館」をつくるにあたって、朝鮮総督府が「民族」を削れといってきたことに対し、絶対ゆずらなかったということを知り、心に残りました。
 今年は、昨年品切れだった「非国民」といわれるようなことが書かれているという淺川巧さんの「日記と書簡」を購入することができたこともうれしかったです。
 「日韓 歌曲の調べ」では金貞玲(キムジョンリョン)さんの凛(りん)としたソプラノに心あらわれました。「芸術に国境はない」という金さんのおもいがこめられた崇高な響きと旋律の流れは一曲ごとに輝きを増し、やわらかく天空に向かってひらけていく美しさがありました。厳しくやさしい自然の美しさと、そこに生きる人々の人生の喜びや悲しみすべてからつむぎだされてくるようなおおらかな歌声は心にしみいりました。金さんの歌と入江真知子さんの全身からあふれるピアノ伴奏が創造する響き合う音楽につつまれ、暖かい気持ちでいっぱいになりました。
 韓国と日本の歴史と現在を生きてこられた彼ら・彼女らと、未来への希望をこめて交流し理解し合うなかでうまれた熱い情感が、ひしひしと伝わってきました。
 清泉(せいせん)寮や五町田(ごちょうだ)(淺川の生地)の豊かな自然の中で、皆さんと再会し、朝鮮陶磁に出会い、清らかな音楽につつまれ、淺川兄弟と柳さんの生き方にさらに踏み込んで学べたことを心から感謝します。
●丁讃宇(ジョンチャヌ)さんの「酒蔵コンサート」に酔う
宮川珠子(みやかわたまこ)

 命と愛と平和への願いをこめたコンサートを続けておられる国際的バイオリニスト・丁讃宇(ジョンチャヌ)さんの酒蔵コンサートがありました(5月24日)。場所は愛媛県北宇和郡松野町松丸の元造り酒屋さんの酒蔵(清酒「伊予美人」を造っていた)。
 私はこの松丸の小中学校で1958年(昭和33年)から8年間勤務したところなので知人や教え子がたくさんいます。昨年、河正雄(ハジョンウン)さんと一緒に松丸を尋ねた時、差別的な対応があったので憤慨していたのでしたが、教え子が「これを日韓友好にもっていきましょう」と「酒蔵コンサート」を企画し、一年がかりで準備したのでした。
 当日は土砂降りの悪天候にもかかわらず160人もの人が参加、丁さんはアインシュタインも恋人に贈ったという名器ガルネリ・デル・ジョスを手に、白鳥の湖(チャイコフスキー)やトゥーランドット(プッチーニ)などの名作を次々と演奏。その美しい音色にうっとりとしていました。
 私は八木ヶ谷さんの詩を持って行ったのですが、それを丁さんは演奏の合間に声高らかに紹介してくださいました。丁さんの願いの深さを再認識した次第です。
 それにしても民族差別を許さず乗り越え、「災いを転じて福となす」を実現した若い人の熱意に感心させられました。

●異議あり! 後期高齢者医療制度
 こんな悪制度は直ちに廃止すべき! 



厚生労働省の若い役人4人(左の手前)
に怒りをぶつけた(6月3日)


 4月からはじまった後期高齢者医療制度は全国に大きな批判や怒りを呼び起こしています。「まるで姥捨て山のようだ」と。
 6月3日、福祉関係の労働組合や杉並の住民団体など八つの団体が厚生労働省に出向き、「後期高齢者医療制度の即時廃止」の要請をおこないました。特に、厚労省の幹部・土佐(とさ)の発言(別掲)を追求しました。担当者も「土佐発言はおかしい」とうなだれていました。要請行動に先だっておこなわれた集会には「もくれんの家」の八木ヶ谷代表も参加、「ここに命ありを示そう」と訴えました。

●後期高齢者医療制度」とは?
 それの何が問題? 

1 この制度は、高齢者を65〜74才(前期)と75才以上(後期)にわけ、75才以上だけを別立ての保険制度にするというもの。世界に例がない。狙いは「後期高齢者にかかる医療費がかかりすぎる。減らさなければならない」というもの。そのために「高齢者に痛みを感じてもらえるようにする」(厚労省後期高齢者医療制度準備室・土佐和夫)と言っている。現役の労働者と仕事をやめた高齢者を分断し、さらに、高齢者の間にも分断を持ち込み対立させようとする制度。本来、支えあい、信頼しあってこそ人間なのにこれを破壊することで医療費を削ろうとする。新自由主義の極めつけといえる。
2 そのために、@「とくに終末期医療に金がかかり過ぎる」として「延命措置はいらない」と患者が医師に約束すれば医師にお金が入る仕組みをつくった。あまりの悪評に一旦「凍結」となったが廃止にはしていない。Aこれまで老人保健法では保険料の滞納があっても保険証の取り上げはしてこなかったが、この制度で滞納に応じて「一旦医療費の全額負担」などの罰則をもうけた。Bこれまで被用者保険は世帯単位ということで「被扶養者」の保険料負担はなかったが、今度は個人単位の保険だとして、保険料を払うことに。全国200万人にのぼる。C過半の人の保険料が「下がる」と国は言ってきたが、実際は「上がる」ことが明らかになった。2倍になる人も出る。D介護保険料と同じく保険料が「年金から天引き」(年間18万円以上)される。E現役の労働者の給与明細に記される「保険料」に「後期高齢者医療の負担分はいくらいくら」と記載することになった。対立をあおる意図だ。F政府は「後期高齢者の特性」として「治療に手間と時間がかかる」「認知症が多い」「やがて死を迎える」と並べ立てている。だから金をかけるなというのだ。
3 では杉並区ではどうなっているか? @4月からの年金天引きを延期し10月から実施としている。Aこの7月に保険料額を決めて各人に通知する。B4月から9月分を7、8、9月と3回で自主納付する、としている。これは、4月の年金天引きへの怒りを先送りしたとしか思えない措置だ。
 しかし、これから怒りがいっそう沸騰することは不可避だ。

 後期高齢者といわれる私たちは、戦前戦後のもっともひどい時代に苦痛を強いられてきた未曾有の苦労人です。
 経済も健康も自信を失って不安になるこの時を狙って、何と残酷な仕打ちでしょう。政府のその精神が悲しい!
 こういう精神が底流にある限り日本の現代に希望はない。日本の未来に暗然とする。
 政府よ!
八木ヶ谷妙子(やぎがやたえこ)

●EUの国境を跳んで、見て、歩いて
伊藤 登美子

 パリに行けば、高校生や教員のデモに会えたら最高! と、わくわくしながら、友人2人と一緒に6月初旬、アムステルダム(オランダ)・ベルギー・パリ・ケルン(ドイツ)などを初めて歩いた。

異文化そのものだった
 滞在したベルギーの南部の街リエージュを中心に考えただけでも、パリへ2時間、ドイツのケルンには1時間半、オランダのマーストリヒトには普通電車で1時間で行ける。しかし、言語が違うことは決定的で、ベルギーはその典型である。挨拶も違う。移民の歴史も違う。こうして民族・国家が厳然としてせめぎあっている。交差している。
 アムステルダムで、アンネの家に行った。同じ屋根裏部屋から青空を見た。
 パリ郊外のドロンシーキャンプを訪ねた。チュニジア人の薬局のおじさんが説明してくれた。

リエージュでデモに逢う


 リエージュのシテ島という中洲に行く途中、対岸に、1時間以上も続いたデモが見えた。METARUの旗、マークは溶鉱炉の炎、各地域の名前を書いた真っ赤なゼッケン。鉄鋼労働者のデモだ。地下道で爆竹をならし、道路に寝て抗議する労働者もいる。女性も多い。年齢も民族も幅広い。街中のカフェは鉄鋼労働者で溢れ、続々と旗を掲げた隊列がオペラ座や、大聖堂に向かってくる。ここはベルギー重工業の中心地で、かつての欧州石炭鉄鋼共同体の中心でもあった。しかし、2工場の閉鎖がかけられていて、失業者の増大は北部の2倍、青年の失業率は22%、鉄道の民営化など全世界みな同じ問題に直面している。文化・民族・国家はちがっても、同じ課題で世界は立ち上がっている。

●<話題の広場>現代の「蟹工船」

 今年に入ってから小林多喜二の『蟹工船』が急激に売り上げ部数を伸ばし、4月に7000部を増刷するも間に合わず、さらに5万部を追加増刷、こうして現在までに130万部読まれているという。漫画本も出版された。
 小林多喜二(1903〜33年。秋田県出身。小樽高商卒。北海道拓殖銀行勤務)は日本を代表するプロレタリア文学の作家で、『蟹工船』が書かれたのは世界恐慌が起こった1929年。その4年後に特高警察に逮捕され、拷問によってその日のうちに東京・築地(つきじ)警察署で虐殺された。
 ブームの背景には「ワーキングプア」と呼ばれる人々の共感と連帯意識があることは明白だ。それは彼らを生み出した今日の社会の仕組みに大きな問題があることを物語っている。さる6月8日、秋葉原において「ワーキングプア」の若者が通行人を殺傷し7人が死亡した。犯行のきっかけは一通の解雇通知だった。それによって怒りの衝動が暴発して無益な罪を犯した。弁解の余地はない。しかし、もし彼がどこかでひっそりと自殺をしていたら、誰が彼のよって立つ状況を詳しく報道しただろう。
 年間の自殺者が10年連続で3万人を超えている。「現代の蟹工船」の犠牲者は少なくない。われわれは犠牲者に代わって、この船を造った者たちを決して許してはならない。その代表的人物の名を特に明記する。
●小泉純一郎(元・総理大臣)。
●竹中平蔵(元・経済財政政策担当大臣)。
●宮内義彦(オリックス会長。経済財政諮問会議座長)。
(深山白鳥(みやまはくちょう))

●「 もくれんの家」の第6回総会のご報告

 5月18日(日)、今年度の総会をおこないました。07年度の活動を振り返り、08年度の活動方針を確認しました。
 最初に、3月の韓国・ソウルでの「関東大震災の朝鮮人虐殺」シンポジュウム、4月ソウルでの移動銀河塾、5月の宋富子一人芝居と3本の報告を映像でおこないました。


「もくれんの家」の第6回総会
(杉並・あんさんぶる荻窪)


●広がった国際交流活動
 毎月のニーハオ・パーティーを軸に野外篇あり、海外交流ありと幅広い活動が広がりました。パーティーの参加者も朝鮮・韓国の方が増えたことを受け、名称も「ニーハォ+アンニョン・パーティー」と一新しました。

●移送サービスは今年度で、いったん中止へ
 移送サービスは、運転協力員の皆さんの並々ならない熱意に支えられ、07年度も無事運行することができました。しかし「もくれんの家」としてはこれ以上、事業を続けることはできないという結論にいたりました。運転協力員の若宮さんが幸いにも新たにNPOを立ち上げ「もくれんの家」の移送サービスを引き継いでくださることになりました。その成功のためにも、今年度はますます安全に、有意義に事業をやりきりたいと総会で確認しました。
 決算、予算案も承認を得て総会は終了しました。
 新たな年度をまた皆さんと共に活動していきます。楽しい企画や、新しい出会いに挑戦したいとも話し合っています。よろしくご支援ください。
 なお、会費の納入がまだの方はお早めにお願いいたします。
(茅原(ちはら))


総会のあと、近くの居酒屋で懇親会。
楽しく大いに盛り上がった



●中国・四川(スーチョアン)大地震への支援活動

 「もくれんの家」の元住人で会員でもある可越(クウイエ)さん(中国・吉林(ジーリン)省出身)の提案で「四川大地震救援基金」(詳しくは別紙のアピールをごらんください)を取りくむことを総会で決議しました。
 可越さんの活動拠点である「東京視点」が、地震で孤児となった子どもたちの就学基金を立ち上げ、今後数年にわたって援助しようという趣旨です。皆さまのご協力をお願いいたします。
(茅原(ちはら))

[支援への呼びかけ文はこちら(別ウィンドウで開きます)]

●「ニイハオ+アンニョン・パーティ」の今後の予定

 「もくれんの家」は毎月第二土曜日の午後4時〜7時まで「ニイハオ+アンニョン・パーティ」を開いています。いつも美味しい手料理やアルコールを楽しみながら、それぞれの近況やさまざまな社会問題を語り合っています。
●7月12日(土)は、楊志強(ヤンツーチャン)さん(中国・貴州大学教授)から「中国の少数民族」について講演をしていただきます。
●8月は「関東大震災8・9シンポジウム」や「8・6〜8・9広島、長崎行動」などのため、休会とし、9月から再開します。
●10月11日(土)は八木ヶ谷妙子理事長の95歳を祝う会をかねておこないます。多くの方に参加していただきたいと思います。
●また、12月13日は、杉並区在住の在日二世・李吉純(リギルスン)さんのお話をうかがう予定です。
 会員に限らず、どなたでも参加できます。
 お誘いあってお気軽にご参加ください。お待ちしています。

7月12日「ニイハオ+アンニョン・パーティ」の報告





 7月12日(土)の「ニイハオ+アンニョン・パーティ」は、貴州大学の楊志強(ヤンツーチャン)教授を招いて「中国における少数民族」について、講演をしていただきました。
 楊先生は貴州省の少数民族「苗(ミャオ)族」の出身で、1989年の天安門事件直後に来日、東京大学大学院で学ぶ。八木ヶ谷宅に下宿し、法政大学の客員教授をつとめながら「苗族」に関する博士論文を完成し、博士号を取得。
 この日、楊先生はホワイトボードを使いながら、90分にわたって講演。パーティーに参加した25人はメモをとりながら熱心に聞き入り、チベット問題など、いくつか質問も出ました。
 二次会の交流会では、日本のビールや中国の紹興酒をかこんで、話がいっそう弾みました。
 楊先生もすっかり上機嫌。大好きなハーモニカを吹いて、やんやの喝采をあびていました。

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