ホーム ->活動内容 ->「もくれんの家」会報 第8号


もくれんの家 会報
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子)
東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367

E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp

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もくれんの家

会報

●第1号
(2005年1月)


●第2号
(2005年10月)

●第3号
(2006年1月)


●第4号
(2006年4月)

●第5号
(2006年6月)

●第6号
(2006年11月)

●第7号
(2007年1月)

  ●第8号
(2007年3月)

●第9号
(2007年7月)

●第10号
(2007年9月)

  ●第11号
(2008年1月)

  ●第12号
(2008年4月)

  ●第13号
(2008年7月)

  ●第14号
(2008年10月)

●第15号
(2009年1月)

  ●第16号
(2009年4月)

  ●第17号
(2009年7月)

  ●第18号
(2009年10月)

  ●第19号
(2010年1月)

  ●第20号
(2010年4月)

  ●第21号
(2010年7月)

  ●第22号
(2010年10月)

  ●第23号
(2011年1月)

  ●第24号
(2011年4月)

  ●第25号
(2011年7月)

  ●第26号
(2011年10月)

 ●第27号
(2012年1月)

 ●第28号
(2012年4月)

第8号(2007年3月)
●「ニーハオパーティ」で考える
      ――『信じる』ことについて
                   三月例会より

 毎月第二土曜日午後4時から7時まで「国際みんなの家」で開催されている「ニイハオパーティ」、3月10日(土)本年三回目の集まりが開かれました
 今回はひとつのテーマを取り上げるというより、それぞれが今抱える問題点、最近思うところ、などを語るなりゆきとなりました。
 例えば、ちょうど62年前の1945年3月10日、10万人を超す死者をだした東京大空襲に思いを馳せ、爆撃を命じた米国将軍のその後の処遇について語る者、「もくれんの家」と深い交流のある在日韓国人二世河正雄氏が続けている活動のひとつ、韓国での桜の植樹運動を紹介し「桜」を軍国日本の象徴として扱うようになった経緯について言及する者、あるいは、米国大統領選挙についての見通しについて語る者もいました。また、この日、都立高校で「日の丸・君が代」の強制に反対するビラを配布してきた参加者は卒業式当日の模様を語り、障がい者のための作業所で働く者は昨年成立した「障がい者自立支援法」によって今どんなことが起きているかを具体的に語りました。
 まさに世の中、問題山積‥‥、と頭を抱えたくなる昨今の社会状況が浮かびあがりましたが、さて、順番がぐるりと回って最後に八木ヶ谷代表が話す時となりました。
 ここで八木ヶ谷代表は最新の自作詩を朗読。一部を抜粋します。

たとえ地球に終末が訪れようと、
わが命のふるさと地球と運命を
共にするより外に道はありません。
地球の子ですから不安はありません。
地球よ 天空よ
ここが確かに吾が命のふるさとです。
あなたを信じて
微動もいたしません。(「固き信頼」より)

 常に「生きるのよ」「信じるのよ」と力強く語って私たちを励ましてくれる八木ヶ谷代表。しかし、「信じる」と言っても、正直なところ、「何を」と問いたくなる心情もあります。こんなに酷い、惨いことが行われているのに何を「信じろ」というのか、というような反発や、信じるより、「疑問を持つ」ことのほうが大事なのではないか、というような問いがあり、質問者と代表との一問一答となりました。
 どこか禅問答のような、しかし、93歳の人生を実生活者として生きてきた女性の言葉は具体的で実感に満ち、お坊さんより身近な存在であるだけに参加者たちはぐっと呑み込んで自分なりの消化に努める、というような、そんな時間が流れたと思います。
 八木ヶ谷代表の詩は「もくれんの家」入り口傍らの掲示板に貼り出しておきますし、コピーも事務局に用意しておきます。興味・関心のある方はどうぞ、お読みになってください。揺るぎない「確信」に触れることができます。(角取(かとり))

●日中韓シンポジウム「近くて遠い関係を越えて」に可越(クゥイェ(かえつ))さんがコーディネイターとして発言

 本年1月13日、日中韓のコミュニケーションを考えるシンポジウム「近くて遠い関係を越えて」が青山学院大学(渋谷区)で同大学国際政治学部と毎日新聞の共催で開かれました。3カ国を代表するパネリスト7人が「どのようにすれば相互理解が得られ、問題を解決できるか」と話し合いました。
 そのパネリストの1人が、「もくれんの家」の理事でもある可越(クゥイェ)さんです。そこで、司会の発言・質問と可越さんの発言・意見を紹介します【なお、主催者を代表して青学大の学長が、「古い時代から深いつながりのある三つの国がどのようにして今日を迎えているかを考え、この地域への文化への思いを新たにしてもらいたい」とあいさつ。また、国際政治経済学部の学部長が、なぜ、私たちは近いのに遠かったのか含めて、問題提起をおこなった】

 司会 コミュニケーションの問題は世界を見てもさまざまあるが、まずどう考えるべきなのか、皆さんに聞きたい。
 可越さん けんかをしてもいいから、相手をす知ることだ。第2に若者や市民の力が必要だ。私たちも今、歴史を作っているのだから。政治家に頼らず、いかに文化交流し、相手に私のことを伝え相手を知ることだ。第3に自ら行動する。私は「東京視点」というインターネットを通して社会に役立ちたい

 司会 コミュニケーションがうまくいかないから政治的にうまくいかないのか。あるいはその逆なのか。日本はいまでこそ先進国だが東アジアの近代化の先導をとったのは朝鮮だった。
 可越さん 私も日本人がコミュニケーション下手とは思わない。それぞれの文化に育てられた方法がある。それをお互いに尊重しなくてはいけない。戦争のことも、中国は中国、日本は日本でそれぞれ教わっている。なぜ相手が怒るのかを知るため、分かるために、その手段を作らないといけない。インターネットは市民のメディアとして発達して多くのことを伝えているが、どれが正しく、どれが正しくないのか、判断が難しいこともある。

 司会 若者文化も果たして同じなのか。うまくいっているようで相当違うのではないか。
 可越さん 今、中国の男性は韓国の男性にしっとしている。なぜ日本であんなにモテるのかと(笑い)。日本のドラマや映画や映像を中国に伝える仕事をしているが、メディアを通して事実、真実を知ってもらうように努力することが私たちの役割だ。

●宮川珠子(みやかわたまこ)の世界旅行A
 (英国その2)

『会報 もくれんの家』の6号(2006年10月発行)から始めたシリーズでしたが、7号(本年1月発行)はお休みしました。今号から再開します。今回はイギリス遍の2回目。スコットランドの最北端からインヴァネスまで、です。

 2006年8月15日、スコットランド最北の町。スペインからやって来たという20代4人の男女のグループに、日本にもぜひ来てください、とあいさつを交わして午前10時に孫娘の運転する車で出発。気温は11度C、民家のアジサイが満開、ハマナスも2mくらいにも繁り、赤白大きな花を咲かせていて、赤い実もなっていました。欲しかったのですが、孫がとらせてくれませんでした。
 車道の両側は色とりどりの野草の花が目を楽しませてくれますが、あたりはカルスト地域で樹木は見られず、うす茶色のヒースの花盛り。南下にしたがって草原が広がってきて、羊や牛の放牧が遠くまで望まれます。気温に関係あるのでしょうか、ながーい毛の牛がいるのには驚きました。灯台の案内板が道端に立っていたので、行くことにしました。小高い丘に散在している集落をぬけると、広々とした海岸べりに広がった草原の向こうの岬に白い灯台が見えます。晴天に恵まれ、空も海も青くおだやかに拡がっています。停車している車も20台近くはいました。絶壁に面した草原には羊、海鳥、人々が、のんびり晴れた夏の一日を楽しんでいるようです。目前に拡がる穏やかな大西洋。島影も、船影も見えません。聞こえる音も、ただ海鳥の声だけです。辺りを散策したりして、一時間ばかりで出発。もと来た道を返り、インバネスに向かいました。
 インバネスのホテルに着いたのは午後4時すぎ、孫は車を返しに行きましたが」、やがて戻ってくると、「スコットランドの人は人柄が良いと聞いていたけど、車でちゃんとホテルまで送り届けてくれたの」と喜んでいました。一休みして、明日のエジンバラ行きの切符を買いにホテルを出ました。海鳥の声の賑やかな川べりの道を通り、商店街をぬけて、インバネス駅に。10分ばかりで着きました。まだ人通りもあり、広い駅の構内も旅行者で賑わっていましたのに、商店街はみな閉まっているのです。5時半には、レストラン以外は閉めてしまうのだそうです。もう来ることもないインバネス。何か記念の物が欲しかったのに残念。夕食は川沿いのレストランですませ、ホテルに帰りました。
 8月16日、6時30分起床。よく休んだので体調も良く、朝食7時40分に食堂に行ったのですが、すでに10人ばかりもいたのですが、皆マナーも良く、階段の上り下りや廊下も静かで、とてもこんなに大勢の人たちが宿泊しているとは思いもしませんでした。
 インバネス発10時52分の電車でエジンバラに行くべく駅に向かいます。地球の歩き方、『旅行ガイドブック』にもまったく出ていない場所をスイスイと行くので「ここら辺に来たことあるの?」と孫娘に聞いたところ「イギリスの道路標識は大変分かりやすいので、地図さえあればどこにでも行けるのよ」とのことでした。これからは公共の交通手段でロンドンに返ることになります。(次号に続く)

●医療講演会(3月3日)を開催しました
  「がんになったらどうするか」
     ―がん難民にならないために―

 3月3日(土)、「もくれんの家」主催で4回目になる医療講演会を開催しました。今回のテーマは「がんになったらどうするか」というものでしたが、今の日本のがん医療が「がん難民」を大量に作り出している中で、どうすれば納得できる医療を受けることができるかというものでした。
 講師は、前回に続きがん総合相談センター所長の松江寛人先生と、神奈川県立がんセンター放射線治療科医長の山下浩介先生にお願いしました。
 今、国立がんセンターをはじめとするがん専門病院では、がんの治療が困難な患者を投げ出すということが頻繁に起きています。「国立がんセンターががん難民を生み出した張本人」という報道まであるほどです。がんの治療、研究は全力でやるけれども、治る見込みのない患者には関心がないというのが、がん専門病院の現実であるということです。
 このようながん医療の現状の中で、どうすれば納得できる医療を受けることができるのか、治るとはどういうことなのか、がんと共に生きるにはどうすればいいのか、といった、がん患者とその家族、それを支える地域の医療・介護従事者のあり方についての興味深い提起がありました。
 今回は、患者・家族だけでなく、医師、ケアマネージャーなどの医療・介護従事者も参加し、講師のお話に熱心に耳を傾けていました。

●ますます元気、移送サービス部
  しかし厳しい現状が

 春めいたとはいえ、まだまだお出かけの際の防寒には注意の必要な時期です。一日も休めない人工透析の患者さんには暖かい春が待たれます。
 「もくれんの家」の移送サービスも順調に運行しています。新しく加わってくださった、運転協力員のかたも、すっかり慣れて、利用者の皆さんにも安心していただいています。
 年度替わりを迎え、決算や事業報告の準備も始まっています。
 今年度は区の認可を受けて、補助金も入りました。しかし実際には厳しい運営状況です。所有車両2台の維持費、駐車場代金、ガソリン代の高騰も響いています。毎月の理事会やミーティングで改善策については話し合っています。「もくれんの家」の主旨は「みんなが安心して生きることが出来るために」ということです。移送援助を必要としている方に、出来るだけ負担をかけずに安心して利用して頂きたいと考えています。
 本来こうした「命・福祉」にかかわる事業は、採算を考えないで「公(おおやけ)」でおこなわれなければならないものです。私たちが必要に迫られて始めた「移送サービス」を通してつかんだ現状を、区や国交省に届かせ、改善を要求するのも大事な仕事の一つと話し合っています。
 杉並区は今後あらゆる区の業務を民間に委託すると、計画しています。区はその事業を管理し業績評価するというのです。こうなればますます、実際に現場を担う「民間」は競争をあおられ、無理をし、結局は利用者にその矛盾が押しつけられ、安全が犠牲になると予想されます。私たちはこうした動きには反対していきます。
 毎日の運行が皆さんの命を守っている「移送サービス」。今後も志し高く、楽しく進めていきます。(茅原)

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