●9月10日 関東大震災時の朝鮮人虐殺を問う 『隠された爪跡』『払い下げられた朝鮮人』 上映会を開催しました

上映に先立ってあいさつする高秀美(コスミ)さん
9月10日(土)、「もくれんの家」は呉充功(オチュンゴン)監督の関東大震災朝鮮人虐殺に関する2部作である『隠された爪跡』『払い下げられた朝鮮人』の上映会をおこないました。在日朝鮮人の方も含め40人の参加でした。
初めて見たという参加者がほとんどで「朝鮮人虐殺の事実は未(いま)だに明らかになっていないのか!?」「官憲だけでなく、民衆にも殺させたなんて知らなかった」という驚きと、あらためて「関東大震災時の朝鮮人虐殺は何だったのか?」を問いかける映画会となりました。呉監督は丁寧(ていねい)に歴史を紐解(ひもと)き、証言者を探し、インタビューし、記録しています。特に『払い下げられた朝鮮人』は長く上映の機会がなく、「幻のドキュメンタリー」と形容されている傑作です。
虐殺の目撃者である八木ヶ谷妙子(「もくれんの家」代表)は今年98歳となりました。欠かさず参加してきた千葉県八千代市高津観音寺の慰霊祭には、今年は高齢のために参加することは叶(かな)いませんでしたが、体の芯に「朝鮮人虐殺」という事実を抱き、目撃者として発言を続け、被害者を追悼してきました。
今年は関東大震災から88年目。日本政府は官憲の虐殺関与を一貫して認めないばかりか、歴史歪曲の教科書を子どもたちに押し付けています。この国家犯罪の責任を徹底的に追及していかなければなりません。「もくれんの家」は、各地で真相究明と追悼をされている方々と連携しながら、八木ヶ谷代表の「あの殺された青年はどこから来たのか。なぜ異国で殺されなければならなかったのか」という心の痛みをしっかり引き継ぎ、再び歴史を繰り返さない、いえ、新しい歴史を切り開く活動をしていかなければならないと、改めて原点を思い返しました。
●お知らせ
●11月の「ニイハオ+アンニョンパーティ」
10月20日に満98歳の誕生日を迎える八木ヶ谷代表を囲んで「八木ヶ谷精神とは何か? を語り合う会」とします。皆さんが感じていることを語り合いながら、現代を生きる意味を考えていきましょう。
◆11月12日(土)午後4時〜 もくれんの家にて 会費八百円
●ケイコさんのピアノコンサート
10月に予定していた、朝鮮第九初級学校でのコンサートは12月に延期しました。詳しくは追ってお知らせいたします。
●朝鮮大学校の見学
11月に予定していましたが、都合で来春に延期します。
●映画を観て

『払い下げられた朝鮮人』の映画ポスター
事実を伝える大切さ 小林真理子
「隠された爪跡」では、教師が生徒を連れて荒川河川敷に行き、関東大震災後、朝鮮人が虐殺されたことを現地で学習している場面が映されていたが、あの当時はこんな教育も出来ていたんだと改めてあの頃の教育の自由さを尊く感じた。
ネット右翼などが若者に浸透している現代、真実を伝える教育こそが必要と切に感じているが、世の中は反対方向に動いている。もくれんの家の会報に「過去から学ぼうとしないものは同じ過ちを繰り返す」とあったように、教育現場では避けることなく事実を見つめていく中から友好と平和が生まれることを早く気づいて実行して欲しい。
未来ある子どもたちに真実を伝えることは、大人たちの義務だと思う。
呉充功監督の2部作を観て ―朝鮮人虐殺と3・11 高井真一
映画では自分の知らなかった事実も記録されており、触発されて改めて年表をくってみた。
1914年第一次世界大戦。17年ロシア革命。18年米騒動。19年朝鮮3・1万歳運動。普通選挙権獲得運動の高揚。経済恐慌。労働争議の激化と日本初のメーデー。21年三菱造船・川崎造船の大ストライキ。22年日本共産党、日本農民組合、水平社の結成。23年大震災直前に共産党員や労働運動活動家の大量逮捕、そうした中で9・1大震災が発生。朝鮮人や中国人、大杉栄ら社会主義者、労働運動活動家が大量に虐殺された。
支配階級は大災害発生に際し、一切を治安の維持・体制の保持のためとし、差別と排外主義で人民を分断し、民衆の心の底からの怒りを抑え強権支配に転じた……。
2011年3・11大震災と福島原発事故時に支配階級がやったことはなにか!? 10万人の自衛隊を動員して被災地に戒厳体制を敷き、高速道路などを制圧。「情報隠し」と「ウソ情報」で、震災と被曝に対する怒りをねじ伏せ、人々を分断し、決起の抑え込みに腐心し、米軍との「トモダチ作戦(核戦争作戦!)」を強行していた。
関東大震災時、「朝鮮人暴動デマ」で朝鮮人虐殺を扇動した警察官僚・正力松太郎が、戦後、読売新聞の社主として中曽根康弘と一体となって「原子力の平和利用」を掲げて、(将来の核武装にむけた)「原発推進」の旗振り役になった。朝鮮人虐殺と原発推進はつながっていた。
福島県への「棄民政策」に怒りを燃やし闘っている福島のお母さんたち、労働者・農民・漁民の人々と心をひとつにして「原発再稼働を許すな。全ての原発をなくそう。被曝労働を許すな」「命より金儲け優先の社会を変えよう」という大運動を起こしていこう。
呉(オ)監督の二部作から1923年と現在を重ね、強く感じた。
何かを知るということは――本当に知るということは、もはやそのことを知る以前の自分ではなくなることだ。いつのころからか、そう思うようになった。
関東大震災における朝鮮人虐殺のことを知ったのは大人になってからだ。私はもう知らない以前の私ではなくなった。それは私が在日朝鮮人だからだろうか。必ずしもそうだとは言えないだろう。この問題に正面から向き合った朝鮮人をはじめ、多くの日本人にも同じことが起きたからこそ、今につながる調査・記録が残され続けてきた。おそらく彼らもまた、知る以前の彼らではなくなったのだ。
今回の上映会に集まったほとんどの人びとが呉(オ)監督の映画を始めて観る人たちだった。どのようなことも初めは「知る」ことから始まる。多くの人びとに「知る」ことが伝播され続けていくことを願う。
高秀美(コスミ)
*上映会当日、会場で映画の紹介をしていただきました
●いま、関東大震災朝鮮人虐殺を問うことについて 角取(かとり)明子
3・11東日本大震災、続く原発事故以来、88年前に起きた関東大震災朝鮮人虐殺を、今、問うことの意味を考え続けています。
「もくれんの家」は様々な企画を通して朝鮮人虐殺の問題を伝え考えてきました。また筆者は2007年発足の「1923市民の会」、続いて2010年に始まった「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」の事務局員として、日韓在日の研究者・各地の市民活動家他、長年取り組んできた皆さんと共に活動してきました。日本と朝鮮半島を巡る未解決の問題、というと強制連行や「慰安婦」等、戦後補償に関わるものが山積しています。大正時代に起きた虐殺については事の重大さにも関わらず、人々の関心、認知度は低いといわざるを得ません。流言飛語を意図的に流して虐殺を促した国家の責任を問うべく、伝手(つて)をたどって初めてある国会議員に面会したのは3月1日のことでした。しかし、発災後は議員も私たちも正直「それどころではない」事態を迎えます。私は被災地支援をどうしたらよいか、そして何より原発事故の情報収集に追われました。ボランティアで現地に赴くのでなければ反原発運動をすることが「使命」と、デモや抗議行動への参加を続けてきました。
さて、直後の混乱の後、活動再開。「関東大震災朝鮮人虐殺」を今どうとらえるか、が私にとっての課題となりました。7月には反原発運動の先頭に立つ若者や「ヘイトスピーチに反対する会」のメンバーを招いて「国家責任を問う会」として緊急ティーチインを開催、朝鮮高校無償化排除や東北朝鮮初中級学校への補助打ち切りの施策が打ち出されるなか、どんな語りかけが有効か話し合いました。浮かび上がったのは朝鮮人虐殺の根にあるものも、原発を過疎に悩む地方に押し付けて推進してきた政策も、フクシマの人々を切り捨てようとする方針も、差別排外主義の思想から生まれているのではないか、ということでした。
歴史の1頁をのぞくように88年前の出来事を捉えるのではなく、今、たった今、目の前に起きている事象との深く強いつながりを意識する感受性と想像力をもって運動を進めること、語りかける言葉を持つこと、とウンウン呻吟(しんぎん)しながら自分に言い聞かせているところです。
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