もくれんの家 会報 |
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子) 東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367 E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp |
もくれんの家 会報 (2005年1月) ●第2号 (2005年10月) ●第3号 (2006年1月) ●第4号 (2006年4月) ●第5号 (2006年6月) ●第6号 (2006年11月) ●第7号 (2007年1月) ●第8号 (2007年3月) ●第9号 (2007年7月) ●第10号 (2007年9月) ●第11号 (2008年1月) ●第12号 (2008年4月) ●第13号 (2008年7月) ●第14号 (2008年10月) ●第15号 (2009年1月) ●第16号 (2009年1月) ●第17号 (2009年7月) ●第18号 (2009年10月) ●第19号 (2010年1月) ●第20号 (2010年4月) ●第21号 (2010年7月) ●第22号 (2010年7月) ●第23号 (2011年1月) ●第24号 (2011年4月) ●第25号 (2011年7月) ●第26号 (2011年10月) ●第27号 (2012年1月) ●第28号 (2012年4月) |
第22号(2010年10月) |
●「ジャズで愛と平和を」―誕生日コンサート開催!
10月22日、阿佐ヶ谷の東京朝鮮第九初級学校でジャズピアノコンサートが催されました。これは八木ヶ谷妙子理事長が97歳の誕生日に子供たちに贈ったものです。
●ニイハオ+アンニョン・パーティ屋外企画開催
9月18日(土)「ニイハオ+アンニョン・パーティ」の屋外編として「関東大震災フィールドワーク(墨田編)」をおこないました。
記録から消えている朝鮮人虐殺
同胞への追悼と平和への祈りこめた「感謝の碑」
粘り強い発掘調査と追悼碑建立
●朝鮮学校とつながって
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●「入管収容所」の闇に光を D 伊藤登美子 面会行動に訪れた品川入国管理局の7階の面会待合室はエレベーターを降りてすぐにあり、ここもまた、狭く5、6人しか座れない長椅子だけ。3、4人が壁づたいにくっつくように立っているしかないぐらいの狭さ。私たち4人はエレベーター前の狭い廊下で待っていました。面会時間は一人10分という短さです。これで十分というのでしょうか? まもなく面会室へ。私にとってはよく見るあのJさんでした。眉を八の字にして自殺者が絶えないこと、4月22日のフィリピン女性の死のこと、自殺未遂者のこと。38万円賃金未払いを訴えている男性に、同じ法務省なのに、何故、支払いさせないのかなどなど…怒りを日本語の早口でぶつけてくる。憤懣(ふんまん)やるかたない様子。さらに、祖国で死刑宣告されていた教師が2、3日前に処刑されたこと、そのニュースの新聞をJさんにだけ送りつけてきた大使館への憤りが短い時間の中で目いっぱい語られた。二人目はニコニコして入ってきたTさん。TさんはJさんと握手。 この交流もまた、貴重。中で分断されているが、面会室で会えるからです。Tさんは、シャワータイムを終えたさっぱりした顔がより嬉しそうで、開口一番「今日、仮放免、うちへ帰れるね」。フランス語が母国語の彼に、一緒に行った友人がフランス語で話しかけると、「嬉しいね」と体中喜びいっぱいでしゃべる。「フランス語あまり話す人いないからね」。奥さんとも英語だそうです。保証金の話になると顔が曇り「50万円高いね」。本当にひどい!金が調達できないで出られない人もいるのは当然。難民申請が認められない上に、こんな法外な金で縛(しば)る卑劣さは許せない。 6ヶ月ぶりの帰宅に明るいTさんの笑顔に出会えた、このような例は稀(まれ)だそうです。前日の難民デー抗議・激励行動のスピーカーの声が収容されている人たちに届き、中で応えたという話を聞くと、面会行動も中と外、中と中をつなぐ、地味ですが国際的な連帯の大切な行動だということが実感できました。入管体制を打破するためにも、面会行動に参加しませんか?
●話題の広場
9月7日に起きた海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件以来、日中間の緊張が急激に高まってきた。日本政府とマスコミは「日本固有の領土が中国に脅(おびや)かされている」と主張しているが、釣魚台は歴史的・地理的・国際法的に「中国の領土である」と言わざるを得ない。@釣魚台を最初に発見したのは中国人であり(1534年)昔から台湾の漁民が漁業のとき休憩地として使っていた。のちに琉球(今の沖縄)の漁民もカツオ漁などで使うようになった。A国際法的には日本は1894〜95年の日清戦争で台湾などを日本の植民地にしたが(1895年4月の下関条約)、その年の1月に釣魚台を「日本領土」に編入(=強奪)した。しかし、ポツダム宣言で「中国に返還すること」とされ、またそれ以前の1941年、日本の最高裁の判例でも「尖閣諸島は台湾所属」という判決がでている。B地理的には釣魚台は中国大陸棚に所属し、沖縄との間に水深2000mもの海溝があり、1958年制定の大陸棚条約に照らしても釣魚台の「領有・開発権」は中国にある。ところが1968年の国連の調査で釣魚台の海底に豊富な石油資源があることがわかってから、日本政府は突然「日本固有の領土だ」と言い始めた、というのが歴史の事実である。
● 「もくれんの家」の留学生通信A
ルッちゃんこと呂衍妹(ルヤンシュ)さん(中国吉林省出身)がもくれんの家に下宿したのは2001年から1年間でした。本国で日本語を学んできた呂さんは流暢な日本語を使う、細くてキリリとした顔つきの優等生でした。食べることより勉強が大切とばかり、片手にサンドイッチで、まともな食事をしていないらしい日が続くと顔に吹き出物をいっぱいつくるありさま。夜中に「ゴキブリが出た!」と駆け込んできたり、「私が試験に落ちるなんて信じられない!」と泣き出したり、にぎやかで面白い日々でした。研究生終了後、大学院に進み留学生の寮に引っ越していきました。そのルッちゃんが大きな病気を克服して今や某大手企業の経営企画室のスタッフとして世界を駆けまわっています。先日、スウエーデンからこんな手紙が届きました。その一部を紹介します。
● 多田富雄著『私のリハビリ闘争』(青土社)を読んで
● 「もくれんの家」の今後の予定
2010年12月11日(第2土曜日)【「パーティ」野外編】
2011年1月15日(第三土曜日)は「新年会」です
2011年2月12日(第2土曜日)【「パーティ」特別企画】 |