ホーム ->活動内容 ->「もくれんの家」会報 第7号


もくれんの家 会報
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子)
東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367

E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp

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もくれんの家

会報

●第1号
(2005年1月)


●第2号
(2005年10月)

●第3号
(2006年1月)


●第4号
(2006年4月)

●第5号
(2006年6月)

●第6号
(2006年11月)

●第7号
(2007年1月)

  ●第8号
(2007年3月)

●第9号
(2007年7月)

●第10号
(2007年9月)

  ●第11号
(2008年1月)

  ●第12号
(2008年4月)

  ●第13号
(2008年7月)

  ●第14号
(2008年10月)

●第15号
(2009年1月)

  ●第16号
(2009年4月)

  ●第17号
(2009年7月)

  ●第18号
(2009年10月)

  ●第19号
(2010年1月)

  ●第20号
(2010年4月)

  ●第21号
(2010年7月)

  ●第22号
(2010年10月)

  ●第23号
(2011年1月)

  ●第24号
(2011年4月)

  ●第25号
(2011年7月)

  ●第26号
(2011年10月)

 ●第27号
(2012年1月)

 ●第28号
(2012年4月)

第7号(2007年1月)
私たちの身を置く世界は
無限の大空間で
無数の物質がただよって
休むことなく動いて変化しつづけています

偉大な弘法大師(こうぼうだいし)は
 遍照金剛といいました
 遍照とは、あまねく照らすのです
 照らされたものは、すべて
 金剛と輝くのです
 私たちあらゆるものは照らされて、
 内から無限の光を放って、
 輝くのです
 金剛の光!
 私たちは、そんな命なのです

生まれて、生きて、帰って、大循環して、止まることのない大存在の中にいるのです

チカチカ、ピカピカ、命のひとときを、光りを放って生きつづける星なのです

私は今、このような事実を、しかとわきまえて生きていることを最高のしあわせと実感しています

2007年1月1日 八木ヶ谷妙子 94歳
●第2回「私塾・清里(きよさと)銀河塾」に参加して
   倉橋葉子(新宿ハングル教室主宰・50代)

懇親会で乾杯! このあと、倉橋さんはハングルで挨拶し、拍手喝采を受ける これから先、何年が過ぎても浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟とポール・ラッシュの精神に思いを馳(は)せる気持ちに変わりがないように感じている。
 2006年の10月27〜28日の研修旅行は言葉にならないほどのインパクトで、私に一つの決心を迫るものであったと思うのです。それは、河正雄(ハジョンウン)塾長という素晴らしい個性の先生の周囲に集った50数名の方と一緒に“ひびきあう心”が私の体の中に宿ったことを実感するのです。
浅川伯教・巧兄弟資料館を見学 美味しい食事を前にして3時間半にも及んだ懇親会の席で、自己紹介のとき、思わず「チョーア チョーア ノーム チョーアヨ、イジャリヘモインブヌル ハン カジョクワガッチ ヌッキョッソヨ(良いね 良いね とっても良いよ。この場に集まった方を家族のように感じたわ)」と上擦(うわず)った声で口走ってしまいました。私の胸に響いた“目には見えないけ浅川伯教・巧兄弟資料館を見学れど何か”が言わしめた、そのような気持ちです。それはポール・ラッシュの精神を引き継いで活動しておられる舩木上次(ふなきじょうじ)さんが話された“目に見えないものに対する畏敬の念”に繋(つな)がることを望んでいるからかもしれません。 また93歳の八木ヶ谷妙子さんや来年は米寿を迎える宮川珠子(たまこ)さんのハツラツとした語り口から学んだ“何か”なのだと思うのです。「行きづまるということはありません。生きているということ白磁のつぼのモニュメントの前で。ハジョンウンさんのおつれ合いのユンチャンジャさんは喜び、喜べないのは悪魔が邪魔をしているから。今ここにいることを信じて生きるのです」との励ましの言葉がリンリンと耳に響きました。今、人生に行きづまっている多くの人に聞かせたい言葉です。
 そして、その革新的な考えに驚きました。「北朝鮮はどうしてこうなっているのかを聞かずに、お前は悪いヤツだと罰することばかりする愚かしさから抜け出せないでいる日本」をたしなめる姿勢を堅持されておられるのです。拉致(らち)を引き起こし、核実験をする北朝鮮の動向に深い愛の気持ちをもって目をそそがれていることがよく分かりました。 関東大震災の時の、哀号(アイゴ)ーと嘆(なげ)きながら虐殺されていっ浅川兄弟をたたえ紹介する高根町の碑陰記た朝鮮人の目撃談を語った八木ヶ谷さんの話を聞きながら、何故いわれなき罪で殺されなければならなかったのかをとことん納得のいくまで考えていこうと思いました。同時に、今なお知らん振りの日本政府の歴史認識の欠如に憤りを感じざるをえませんでした。
 さて、27日の12時半から24時間の、缶詰の如くぎゅっと凝縮された塾の中身について、とても言葉では書き尽くすことが出来ません。ただ農村環境改善センターにおいて講演してくださった江宮隆之氏の話しは、マイクが不良で聞きづらかったのですが、小説が映画化される日が楽しみになりました。
 巧(たくみ)の祖父・小尾四友は芭蕉の流れを汲む流派の俳人でもあったそ熱田神社境内にある句碑の前で説明する清水九規さんうですが、熱田神社境内(けいだい)にある句碑(不断きく 声ははなれて 初烏)は、お正月の風情が漂うようです。先祖の墓、資料館の品々をひとつひとつ説明してくださった清水九規氏のメリハリの利いた名解説も心に響きました。
 キリッとした山の稜線、ダリアの鮮やかな色合い、ススキの穂、白い雲……どれも心豊かにしてくれました。霧につつまれた静寂(せいじゃく)そのものの清泉(せいせん)寮でぐっすりと休んだ翌日、ポール・ラッシュが暮らした家をつつむ空気のかぐわしいこと、そして若き日の河正雄青年の苦悩を受けとめたポール・ラッシュの存在に、感謝の念を抱きました。 第1回の時の様子は、い浅川兄弟生誕の地を見学ただいたDVDに記録されているように、第2回目も作成され、行かれなかった方にも伝えられるようになるのでしょう。ずっとビデオ撮影をしていた厳兄(オムヒョン)君、ご苦労様でした。20歳代の3人の学徒には皆でエールの拍手を送りました。
 すでに、来年6月3日には、特に地元の方を中心に400浅川兄弟生誕の地を見学人規模の集(つど)いを計画しておられるファイトに勇気づけられます。陳昌鉉(チンチャンヒュン)さんのバイオリン製作への情熱と丁讃宇(ジョンチャンヌ)さんのバイオリン演奏がさらに“ひびきあいの心”を響かせる集いになるものと予想できるのです。
 河正雄塾長先生は「塾長は私でなくて構わない。誰がなっても良いのです」と盛んにおっしゃっていましたが、あと10年は頑張ってもらわなければというのが参加者の意見です。 帰宅後も興奮気味になって、バレー好きの娘たちに野外フィールドバレーの催しに行こうと誘っておりました。
浅川家と小尾家のお墓におまいり 私塾・清里(きよさと)銀河塾に参加できたことは、私の暮らす府中の家族や、今回の企画を教えてくれた調布ムルレの会の友人、同行させてくださった「もくれんの家」の皆さんのおかげであり、感謝の念でいっぱいです。 ちなみに、調布ムルレの会は、1979年暮以来ゆっくりとした歩みを続けていますが、人権の視点から在日韓国・朝鮮人問題(講演(「生きるのよ!」)する八木ヶ谷。その右でビデオ撮影する巌兄君。右端が河正雄さんとりもなおさず日本人側の問題であることは、いうまでも無いことです)に取組み、社会的差別の克服に努めています。留学生を先生に、来年度も6クラスのハングル講座を維持できそうな見通しです。さらに対市交渉を通じて高齢者の無年金問題について調布市議会が採択するなど少しの前進がありました。さらに府中市では、チマチョゴリの会を中心に、最善を尽くし−流たるべし ポール・ラッシュフリーマーケットやキムチ販売等をしながら朝鮮人学校に通う子どもへの助成金獲得や支援活動を活発に展開しています。
 今回初めて清里銀河塾に参加しましたが、地球市民への参加につながる一歩をさらに大きく歩き出したように思えてなりません。
 そして2001年10月3日に韓国からのお客様を誘って、開館まもない浅川伯教(のり清里清泉寮たか)・巧(たくみ)兄弟資料館へ行って以来2度目の訪問でしたが、これからは色々な意味でもっと足繁く通いたいと期待に胸膨(ふく)らませています。
●2006年最後は、遠来の客人を迎えて
 ニイハオ・パーティの報告


 12月14日(土)の午後4時はあいにくの冷たい雨と、1年で1番、日没が早いとあって外は暗くなっていました。しかし、そう広くない「国際みんなの家」の中は温かい空気に包まれていました。11月のニイハオ・パーティの直後、部屋の中で転倒し腰を痛めていた八木ヶ谷さんもこの日は「床上げ」して元気に参加。テーブルの上には手作りの料理が並びました。初参加の方も、久々の方も含めて16人が今年1年をふり返り、交流を深めました。
 特にこの日は中国吉林(きつりん)省・長春(ちょうしゅん)から可越(か・えつ)さんのお母さんの周(しゅう)さんが来てくださいました。以前にも1度来ていただいていましたし、中国を訪問したときには大変お世話になった方でうれしい再会。周さんはお父さん(可さんのおじいさん)が日本で暮らされたことがあり、その足跡を求めて約1ヶ月滞在された途中でした。学者(周さんは吉林大学の教授)らしい豊かな視点で、中国と日本の歴史を、家族の生きざまを通して追跡されている姿勢とお話しに感服しました。お父さんは後にアメリカに渡りそこで生涯を閉じられたとのことで、数日後には墓参のために渡米の予定でした。その記録がまた可越さんの手でビデオ作品になることを期待しています。
 もう1人の新しいお客様は映像プロデューサーの鈴木さん。八木ヶ谷さんの新しい記録フィルムの制作が始まります。以前、大谷さんの作ってくださった「91歳のアジテーター」に次ぐ、また違った八木ヶ谷像の完成が楽しみです。(茅原)
●移送サービス部は、今年も安全運転 快適・安心な外出をお手伝いします

 移送サービス部は年末年始も休むことなく2007年のスタートを切りました。
 昨年の10月には「杉並地域大学」で移送サービスの運転協力員の講習がおこなわれ、「もくれんの家」の協力員さん2名も講座を修了しました。また、会のPRに応えて数名の問い合わせ・応募があり、3人の方が新しく加わっていただきました。ますます機動力がアップしました。
 さて今年は、区の認定事業としてスタートした最初の年度の締め年です。
 杉並区の支援体制は十分とはいえず、利用者の方々のニーズに充分応えきれないこと、会の運営が財政的にとても厳しく、協力員・スタッフへの負担が軽減されないことなど、問題点も見えてきました。
 区内の他団体とも協力し、杉並区における「福祉有償運送」事業が健全に運営されるように力をつくしたいと考えています。
 また、「病院通いだけでなく、楽しいおでかけもしたい」という声も上がっています。「もくれんの家」ならではの楽しい催しも今年は実現したいですね。
 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。(茅原)
●レオ君(担濱君)の中国語レッスン

言語学を勉強中のレオ君から毎回「一言中国語」を教わっています。前回は
 日本語:お誕生日おめでとう
 中国語:生日快楽
 発音:sheng ri kuai le
 発音やアクセントは直接参加して覚えてください。

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