ホーム ->活動内容 ->「もくれんの家」会報 第27号


もくれんの家 会報
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子)
東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367

E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp


もくれんの家

会報

●第1号
(2005年1月)


●第2号
(2005年10月)

●第3号
(2006年1月)


●第4号
(2006年4月)

●第5号
(2006年6月)

●第6号
(2006年11月)

●第7号
(2007年1月)

  ●第8号
(2007年3月)

  ●第9号
(2007年7月)

  ●第10号
(2007年9月)

  ●第11号
(2008年1月)

  ●第12号
(2008年4月)

  ●第13号
(2008年7月)

  ●第14号
(2008年10月)

  ●第15号
(2009年1月)

  ●第16号
(2009年1月)

  ●第17号
(2009年7月)

  ●第18号
(2009年10月)

  ●第19号
(2010年1月)

  ●第20号
(2010年4月)

  ●第21号
(2010年7月)

 ●第22号
(2010年7月)

 ●第23号
(2011年1月)

 ●第24号
(2011年4月)

 ●第25号
(2011年7月)

 ●第26号
(2011年10月)

 ●第27号
(2012年1月)

 ●第28号
(2012年4月)

第27号(2012年1月)
私は元気ですけれど
足が不自由になって歩くことが出来ません
皆さんのそばに飛んでいって
しっかり手をとって親交の気持を伝えたいのですが無念です
元気ということはエネルギーがあるからです
元気であればいい!
真直ぐで明るいのがいい!
誰でもみんな、生きがいと
いうものを持って生きているんですから

2012年元旦
八木ヶ谷 妙子(99歳)


98歳の誕生会(2011年11月)

●フクシマと連帯し、「共に生きる」精神で
 今年も地道に活動していきます

 2011年の年明けには、こんな3月を迎えると誰が想像したでしょうか。「地震の巣」といわれる小さな島に54基もの原発という名の「核爆発物」が存在していたという事実! しかし、そもそも原発は「悪魔の釜」「人類と絶対に共存できない」といわれ、立地住民をはじめ根強い反対運動が展開されていました。にもかかわらず、3重4重の構造で作り上げられた「安全神話」で押しつけられてきたのでした。都市に住む私たちの多くは、それらを軽視、あるいは無視してきたことを今、心底から痛切に反省しなければなりません。フクシマの限りない怒りと悲しみと苦悩!
 歴史的大地震と巨大津波の被害は、新自由主義による規制緩和と地方切捨て政策で拡大し、原発の爆発は国家と東電による大犯罪であり、「核の平和利用」の化(ば)けの皮を劇的に剥(は)がしました。この点を決して曖昧にせず、フクシマの皆さんと連帯しながら「もくれんの家」は今年も活動していきます。
 2月12日(日)には『ミツバチの羽音と地球の回転』の上映会をおこない、春には朝鮮大学校(東京都小平市)を見学する予定です。ぜひご参加ください。
(茅原(ちはら))

*先日お送りした入会のご案内に応えて、何人もの方からご送金いただきました。ありがとうございました。今年もご支援・ご協力をお願いいたします。

●国会で初めて集会を開催
 「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」

 昨2011年11月30日、衆議院第2議員会館で第1回院内集会を開催。記録映画『払い下げられた朝鮮人』と、「もくれんの家」八木ヶ谷理事長他の目撃証言映像を上映、国家責任を問う会は政府に「責任を認め謝罪すること、調査すること」等を求めるアピールをおこないました。参加者は48名、会としては盛会でしたが、肝腎の議員の参加はなく、社民党の服部良一衆議院議員からのメッセージが届いただけでした。しかしこれは想定内。粘り強く、働きかけを続けようと思いを新たにしているところです。尚、共同代表のひとり山田昭次・立教大学名誉教授の新著『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』(創史社)が刊行されました。ぜひご一読ください。
(角取(かとり))

●2・12 未来のエネルギーを今、ここから考えよう―
 『ミツバチの羽音と地球の回転』上映会


パンフレット 裏面はこちら
2月12日(日)セシオン杉並の視聴覚室で
@11時30分、A15時、B18時30分の3回上映。
前売り千円、当日1、200円。
*@とAの上映後には鎌仲監督のトーク映像も上映します。


 3・11以降、原発関連の映画を何本か見てきた。『アレクセイと泉』『東京原発』『100、000年後の安全』等。なかでも鎌仲ひとみ監督『ミツバチの羽音と地球の回転』は秀逸だった。「上関(かみのせき)原発建設計画」に28年間反対し続けている瀬戸内海祝島の人々の暮らしを中心に描かれたドキュメンタリーだが、自然エネルギーへのシフトを実現したスウェーデンの町も取材。持続可能な社会のあり方を伝えている。これなら「希望」も伝えられる!
 福島第一原発の事故発覚後、苛々(いらいら)しながらニュースを見つめ、ネットで情報を収集し、海に汚染水を流したと聞いた日に東電本社前に駆けつけ、ひとりでメガホンを持っていたおじさんと一緒に座った。集会、デモにはできるだけ参加してきた。友人知人にデモ情報を流して参加を促しもした。だが、8万人を越す人々が避難を余儀なくされ、今も放射能をばらまき続ける壊れた原子炉が存在し、外部内部被曝が福島だけでなく東京でも続いている現実。それなのに原発を推進しようとする人々がいて、輸出!することを決定、挙句に「冷温停止状態」につき収束宣言、とはなんたることか。そして何事もなかったかのようにクリスマス商戦とお節料理の予約伺いのチラシが舞う大都会。
 今起きていることと、今後進むべき道を知って考えてほしい。何かできることは、伝える方法はないか。‥‥で、『ミツバチの羽音と地球の回転』の自主上映会開催を決定しました。
 祝島のおじちゃんおばちゃんの闘いと、スウェーデンの変革、どちらも自然と共に生きることを選んだ人々の意志ある行動の記録です。ぜひ見てください。
 お問い合わせは「もくれんの家」まで。
(角取(かとり))

●ついに女たちは立ち上がり、そして座り込む
 「とつき十日」・御用おさめ東電行動まで
 ―― 福 島 の 女 た ち 行 動 ―― 


「兎追いしかの山、小鮒釣しかの川、…忘れがたきフクシマ」と歌い涙した
(11年10月29日)

 「福島にいてもたってもいられない」と武藤類子さん、「何にも変わっていない」と佐藤幸子さん、「生きる場は自分たちで守らなければ」という椎名さんたちの呼びと怒りが全国に伝わる。10月27日から始まった経産省前座り込みは3日でのべ3千人。私は数日前に知った高放射能の「福島市渡利地区」の署名を持って通算10日参加した。リレートークは「つらい・苦しい中で子どもを守りたい」とバスで駆けつけた福島のお母さんたち、「いますぐ停止を!」と各地からの人々が発言に立つ。普段歌わない「ふるさと」を全員で歌うと、特別な感情がこみあげる。みんな思い思いの手作りメッセージの布や看板を持って座っていた。指編みリレーも始まっていた。最後の日、福島の女から「全国の女に」と受け継がれ、経済産業省を包囲した指編み毛糸は大きな地球儀になり、全国のたたかいに回ることになっていた。
 12月28日、御用おさめ東電行動に参加した。野田の「収束」発言、無策に怒り! 「幹部は原子炉で生活しなさい!」「福島に核シェルター!」「東電本社から出なさい」と発言は続く。敷地にはバリケード。スクラム警備員の外の路上で要請文を受け取るとは本当に盗人猛々しいというもの。「東電と国に責任を取らせるまで絶対にあきらめない!」(山本太郎さん)に参加者が心ひとつに叫ぶ。
(伊藤)

●話題の広場
 福島原発事故に思うC
 原発こそ、民主主義の対極にある最もダーティな存在

 福島原発事故の核・放射能被害は世界に拡大し、ますます深刻になってきた。にもかかわらず、野田政権は12月16日、あらかじめの筋書き通り「福島原発の事故は収束した」とデタラメな宣言をおこなった。これは原発の全滅寸前という絶体絶命の危機に陥った電力資本と政府による、原発再稼動と原発輸出・核武装政策の継続に向けた起死回生の挽回策である。反原発闘争はあたらしい局面に入ったということである
 さて、前回は、東京電力・柏崎刈羽(かしわざきかりわ)原発にかかわる原子力マフィアの不正・腐敗を見たが、ここでさらにいくつか紹介したい。
 @東京電力に32年間勤務した蓮池透氏は最近出した『私が愛した東京電力』で「(玄海原発の世論誘導と同じことを)私もやっていた」と告白している。A1980年2月に開かれた福島原発の「公開ヒアリング」もひどかった。傍聴人は語っていた。「会社の上司から見てこいと言われた。会場までは町役場の手配したバスに乗せてもらった」「今日は出張扱い。弁当? 東電が出したんじゃないの」(『反原発新聞』第23号(80年3月20日付)。なお、このころの福島の中学二年生の「恐いものベスト・テン」は1位が原発建設、2位が先生、…10位がお金となっていた。ここまでは、まだ可愛いものである。驚愕すべきは次の事実だ。
 B「東の柏崎、西の伊方(いかた)」といわれたほどに大衆的に粘り強く激しく闘われた四国電力・伊方原発(愛媛県)反対闘争。小・中学校では三里塚闘争(成田空港反対闘争)と同じように同盟休校が闘われ、生徒たちもデモに出た。これに対する四電の買収攻撃はすさまじい。1980年代の8年間だけでも愛媛県は四国電力から11億円(!)の「寄付」を受けていた。漁協の幹部たちは四電からタクシーのチケットをもらい、八幡浜の料亭に乗り付けては饗応にあずかっていた。町議会の議員総会を四電の接待でしめくくるというハレンチ。また、ボーリング調査のための「仮契約書」という四電のウソにだまされて、ある女性は夫の留守にハンを押し、その責めを受けて離別され、うつ病になって自殺するという悲劇……。「原発反対運動は実に人類愛のためである」という地元の農民は「土地を力ずくで取り、約束違反と人権蹂躙を繰り返す。沖縄と同じだ」と語っていた。
 C札束攻撃では中部電力も四電に負けてはいない。私は10年ほど前に、浜岡原発(静岡県)を見学し「浜岡原発を考える会」代表・伊藤実さん(工場経営者)に現地を案内していただいたことがある。その伊藤さんは語っている。「中電は地元の有力者を接待しては飲ませ食わせの毎日だし、町の人は何かと言えば中電に金をせびりに行く。私は地元の消防団の役員旅行で九州に行ったことがある。名古屋空港から宮崎まで飛び、次の日は鹿児島で一泊。一人ひとりに芸者がつき、生まれて初めての大名旅行である。後から副分団長に聞いたところ、旅行の前日に正副分団長が中電から70万円もらってきたとのことだった」(『浜岡原発の危険! 住民の訴え』)。
 なにが「原発は科学の粋(すい)を集めたクリーンなエネルギー」だ! 原発は地域と人のつながりを破壊し人心を荒廃させ、放射能で人を殺す、民主主義の対極にあるダーティなものだ。「日本はどこかの独裁国家と違って民主的なクニだ」と思っている人がいるかも知れないが、実際は、資本家とそれに群がる1%が、99%の労働者階級をカネとデマと暴力で支配する独裁国家なのである。この構造の根本的転覆が求められている。(続く)
(片岡)

●自宅介護のかたちC
 ディサービス利用のドタバタ

 八木ヶ谷代表が入退院を繰り返し、自力では歩行が困難な状況になって丸一年が過ぎました。しかし、よく食べ、よく考え、しっかり見、時にしゃべり、笑い、真直ぐに生きています。一年間多くの方に支えられ、体調の変化にも必死で対応していただきました。一喜一憂しながら「チーム八木ヶ谷」は一層団結を固め、発展しています。
 主治医の「天井を眺めて寝てばかりいたら退屈ですよ」「社会性のある人だから、ディサービスに出かけては」と言うお勧めで、5月から近くの小規模で家庭的な「ディサービス」を一泊か二泊で利用し始めました。七〜八人の高齢者が、やさしい職員の介助を受けて、穏やかにゆっくり過ごすそこは、私から見ると「素敵な所」。しかしご本人は「年寄りばっかり」「年寄りを待たせる」「つまらないことをやらせる」とさんざん。それでも何回か行きました。少しお休みして復活したある時、前日に「明日はディに行ってくださいね」と納得してもらったつもりでしたが、いざ到着した玄関先で「だましてこんなとこに連れてきた!人権蹂躙だ」「一番、来たくないところだ」と顔をゆがめ、ビックリする大きな声で怒りが爆発しました。職員の方の説得で「死んだ気で居るよ」とあきらめてもらいましたが、つらい気持ちになってしまいました。ところが翌日迎えに行くと、ニコニコ顔。「大きな声で歌ったよ」と。抑えていた思いを爆発させ、それを受けとめてもらったことで、スッキリしたのでしょう!
 12月の忘年会では大きな声で懐かしい歌を、本当に楽しそうに歌いました(翌日から疲れが出ましたが)。
 2月からはショートステイも利用します。長く自宅介護をするために必要な制度です。その意味を説得してくださった方々に心から感謝です。
(茅原(ちはら))

●寄稿

仮放免者の会が法務省にデモ
東京入管収容所を考える会
佐藤 守一


 12月7日、仮(かり)放免者の会が呼びかけた法務省デモがおこなわれました。「仮放免者」とは、移住労働者や難民などで日本に来て入管収容所に収容された人が、「仮放免」という形で釈放された人たちです。入管収容所は「仮放免者の働く権利」を認めていませんが、働かなければ生活していけません。デモは「長期収容をやめろ! 再収容をするな! 仮放免者に仕事をさせろ! 人間として扱え!」と要求しました。
 昼過ぎから日比谷公園に在日外国人が続々と集まりました。牛久(うしく)(茨城県)入管収容所問題を考える会をはじめとした日本人の支援者、動労千葉、なんぶユニオン、全学連なども駆けつけました。12時半に日比谷公園を出発し、東電前から新橋へ、多くの通行人の注目を集めながら進み、法務省を一周。デモの途中から参加した人たちも多く、デモ隊は150人ほどになりました。法務省には「人権週間」という看板が掲げられており、怒りが倍加して「収容するな!」「移民・難民を人間として扱え!」とコブシを突き上げました。在日外国人たちがひとつになって行動し、お互いに勇気づけ、団結を固めるすばらしい行動でした。
 12月20日、民主党・野田政権は、2012年7月9日から「新しい在留管理制度」=在留カード制度を実施することなどを定めた政令を閣議決定しました。同時に外国人登録法を廃止し、日本に在留するすべての外国人を法務省が一括管理するというのです。在留カード制度のもとで難民申請者を含む仮放免者たち、在留資格を持たない外国人がどうなるのか、子どもたちの教育は? 医療は? 当事者たちの不安は大きくなるばかりです。私たちは、管理優先・人間不在の在留カード制度に反対します。在留カードNO! の声をあげて、ストップさせるため、ともに頑張りましょう!

高尾山の地下に戦時強制労働の跡
梁(ヤン) 裕河(ユハ)

      
ダイナマイトを仕込む穴の跡を示す、地元の方  浅川地下壕
  昨年10月末に、高尾山の地下にある「淺川地下壕」を訪ねてきました。
 ここは戦前、ゼロ戦などの戦闘機エンジンを作っていた中島飛行機が、軍事工廠となって空襲を避けるために地下工場としたところです。従業員5万人といわれていた巨大工場を地下に移したのですから、その規模は広大で、とても回りきれるものではありません。地元の方の案内で壕の中に入ると、湿った匂いが鼻をつきました。トロッコ軌道の跡、発破の爆発用穴、大量に残されていた火薬跡など、生々しい戦争の跡が今も残っていました。地下壕は佐藤工業と大倉組(現大成建設)が請負い、戦時動員された朝鮮人が労働に当たりました。戦前に厚生省がここに朝鮮人労務者を割り当てたことも米軍資料から見つかり、2千人近くの朝鮮人が重労働をしていたことが今では明らかになっています。
 日本中のあちこちに、戦前のこうした労働現場があってその数は統計によれば900を越えるそうです。このことが、地元で少しづつでも明らかになっていくことで、歴史を直視することにつながっていくことを思いつつ、足元も危ない壕を後にしました。


「もくれんの家」の国際交流活動

ホーム | 設立趣旨書 | 活動内容 | みんなの家 | 交通案内

もくれんの家ロゴ このページのトップヘ