ホーム ->活動内容 ->「もくれんの家」会報 第19号


もくれんの家 会報
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子)
東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367

E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp


もくれんの家

会報

●第1号
(2005年1月)


●第2号
(2005年10月)

●第3号
(2006年1月)


●第4号
(2006年4月)

●第5号
(2006年6月)

●第6号
(2006年11月)

●第7号
(2007年1月)

  ●第8号
(2007年3月)

  ●第9号
(2007年7月)

  ●第10号
(2007年9月)

  ●第11号
(2008年1月)

  ●第12号
(2008年4月)

  ●第13号
(2008年7月)

  ●第14号
(2008年10月)

  ●第15号
(2009年1月)

  ●第16号
(2009年1月)

  ●第17号
(2009年7月)

  ●第18号
(2009年10月)

  ●第19号
(2009年10月)

  ●第20号
(2010年4月)

  ●第21号
(2010年7月)

  ●第22号
(2010年10月)

  ●第23号
(2011年1月)

  ●第24号
(2011年4月)

  ●第25号
(2011年7月)

  ●第26号
(2011年10月)

 ●第27号
(2012年1月)

 ●第28号
(2012年4月)

第19号(2010年1月)
あしたの空を見て、みんなで行きましょう

人間が森を出て平原で暮らすようになりました
平原は見通せるので、関係を考えるようになりました
脳が発達したのです
人間は考える生命体です
共に話し合って考えを進歩させていくのが本道です
私は人類の明日に大きな希望を持っています
腕力を売りものにして競う道は人間の道ではありません
誰も希望を持てる道があるのです
「よく見 聞き 知り わかる」という貴重な言葉があります
あしたの空を見て、みんなで行きましょう
人間の道が大きくひろがっています
 2010年1月1日 「もくれんの家」代表・八木ヶ谷妙子(97歳)


ドストエフスキーを語る
八木ヶ谷 (2009年12月)

 新年明けましておめでとうございます。一年間「もくれんの家」の活動に協力・応援をいただき本当にありがとうございました。新年もまた皆さんと共に歩んでいきたいと考えています。
 昨年は、6年間続いた「福祉有償運送事業」を休止し、新しい二つのNPOに引き継いでいただきました。熱意と努力で「もくれんの家」の実績を半期で倍にするような運行がおこなわれているとお聞きしています。その様子は10月29日の『日本経済新聞』の朝刊にも大きく紹介されました。
 国際交流の分野では、これまでの活動を一層深めることができました。特に近くにある「東京朝鮮第9初級学校」の皆さんとの交流は5月の『朝鮮の子』の上映会、11月の『ウリハッキョ』アンコール上映会を通して共に活動していくスタートの年となりました。
 関東大震災における朝鮮人虐殺真相究明の活動も、慰霊祭への参加や千葉県での調査・追悼をおこなっている大竹さん・平形さんのお話を伺う機会も設けました。
「1923市民の会」の活動にも参加しました。
 今年は「韓国併合(朝鮮植民地化)」百年の年です。「在特会」など排外主義を煽り、侵略の歴史を正当化する動きも活発化しています。私たちの活動を通し、民衆の側から、国境を超えた連帯で新しい歴史を刻みましょう。
(茅原(ちはら))

「ニーハオ+アンニョン・パーティ」の予定

◆◆毎月第2土曜日4時〜7時、「もくれんの家」で開催しています。参加費800円◆◆
●2月20日(第3土曜日)*講師の都合により、第3土曜日になります。
「社会福祉とは?」(長谷川英憲)
●3月13日
「福祉作業所で働いています」(茅原まり)
●4月または5月
「入管管理局とは?」学習と面会行動
以降、「私の中のユダヤ人」(ルティ・ジョスコビッツ)
 「朝鮮植民地支配から100年を在日朝鮮人が語る」
 「関東大震災虐殺記念碑をめぐるスタディーツアー」
 「韓人歴史資料館」見学などを計画しています

●『ウリハッキョ』アンコール上映に100人が感動


会場いっぱいの人が
映像に見入る。

 11月14日のドキュメント映画『ウリハッキョ』アンコール上映会は東京朝鮮第9初級学校の皆さんの協力で、百名を越す方に参加いただき、イスが足りなくなってしまうほどの大盛況でした。
 上映の後、舞台となった北海道朝鮮学校の第12期卒業生で、監督とも交流があり、韓国に留学し朝鮮近代史を学んだ崔誠姫(チェソンヒ)さんから、撮影の背景や朝鮮学校の現状などをお話しいただきました。


交流会で話す申静子(シンジョンジャ)さん(左)。
右は校長先生

 第9初級学校に場所を移して行われた交流会には35人が参加。手作りの朝鮮料理とマッコリをいただきながら、映画の感想や日ごろの想いを語りあいました。


交流会の様子。


交流会で出た料理。

《参加者の感想・アンケートから》
*「サッカーも勝つのが目的でなく、人のために戦うことをウリハッキョで知った」この言葉がすべてを語っていると思います。
*皆さんの明るい顔がとても素敵でした。早く国交回復することを願っています。
*いろいろ思い、考えさせられることが多かった。生生と生徒の心のこもった交流が伝わりよかった。
*12年間の学び舎が、そのまま在日朝鮮人の姿として凝縮していることに監督の並々ならぬ腕力を感じました。日本人必見の映画。
(茅原(ちはら))

●映画を通じて出会った皆さんに感謝

 

 何度見ても泣けて笑える映画、そんな映画に出会ってしまった。それも自分の出身校がテーマになっている映画だ。『ウリハッキョ』を見るたびに、『ウリハッキョ』について語るたびに、私は忘れてしまっていた「ウリハッキョ」の良さ、想い出が蘇る。
 私の話を聞いてくださった皆様の真剣な眼差しは、ここ数年続くマスコミや右翼の在日・朝鮮半島への中傷に辟易(へきえき)していた私の心を洗ってくださった。『ウリハッキョ』の登場人物たちが、『ウリハッキョ』を愛し励ましてくださる皆様の眼差しが、私にパワーを与えてくれる。『ウリハッキョ』は私にとって、お金に替えることのできない、一生の財産となった。
 この映画を通じて出会ったすべての皆様に、心からの感謝の気持を贈りたい。本当にありがとうございました!
北海道朝鮮学校第12期卒業生 崔誠姫(チェソンヒ)
(一橋大学大学院社会学研究科)

●「関東大震災における朝鮮人虐殺の真相究明と名誉回復を求める日韓在日市民の会」
 (通称「1923の会」)の報告

1月23日(土)午後1時より新宿?アジアハウスにて『朝鮮人虐殺の真相 究明と名誉回復の運動を考える集い』を開催します。2年あまりの活動で日韓で、シンポジウム、学習会、スタディツアー等行ってきましたが、日韓両国政府に働きかける取り組みは未だ具体的な成果をあげていません。現状と方針について報告し、今後の活動について皆様からの意見を伺い議論する場です。奮ってご参加ください。
(問い合わせ:角取(かとり)まで)

●ニイハオ+アンニョン・パーティの報告

10月
 八木ヶ谷さんは関東大震災時、千葉県八千代市(現)で起きた朝鮮人虐殺の目撃者です。この証言をはじめ千葉県で隠されていた事実を丹念に調査・追悼してきたのが「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」。中心的メンバーが大竹米子さんと平形千恵子さんです。これまでも追悼式等でお会いしていますが、今回、30年を越す年月、情熱を傾けてこられたお二人に、虐殺の事実、というより「情熱の理由」についてお聞きしたいと、語り手としてお迎えしました。

 
中央右が大竹さん。
左が平形さん

 大竹さんは1930年生まれ、中学校の元教員です。戦後教育の実際を独特の口調でユーモアたっぷり語ってくださいました。「デモ・シカ」ではなく、「デモをする教師だった」という彼女は64年、歴史教育者協議会の大会に参加し、北海道で強制連行・アイヌ・「タコ労働者」問題を追求している教師の報告に心を揺さぶられたとか。やがて先輩教師が語った「朝鮮人虐殺の目撃の話」に衝撃を受け、習志野の中学校の「郷土史クラブ」の生徒たちと調べ始めます。
 平形さんは41年生まれ。長く船橋の私立高校の社会科教師をしてこられ、教職員組合を作る活動にも勤(いそ)しんだとか。74年歴教協の大会に参加、帰途彼女が住む船橋市丸山で朝鮮人を助けた話を聞き、聞き取り調査を始めたそうです。
 おふたりの話はまだまだ序の口。調査を始めた彼女たちを支えたものについても伺いたく、お話を聞く会・続編をぜひ企画したいと考えています。
(角取(かとり))

12月
 ドストエフスキーというのは不思議な作家です。作品について語ろうとすると、当時のロシア人でもなく、ましてクリスチャンでもないのに、いつのまにか登場人物が抱えているテーマにどっぷりはまって深刻に考えさせられている自分を発見することになるからです。時代や民族、国を超越して、人間が突き当たっている壁の前に立たされる気分です。かつて読んだとき、登場人物を一人ひとり切り離して見ていたような気がします。今回改めて『カラマーゾフの兄弟』を読んで、何となく腑に落ちたのは、全員が総体としての一つの存在のように見えたということです。「人間」というのはなんと矛盾に満ち、そして豊かな存在でしょう。大学でドストエフスキーだけを取り上げて授業する先生がいました。毎年すべての作品を読むことをずっと続けているのだと、当時言っていたような気がします。今も生きていらっしゃるとして、現在もそんな風に読んでいるだろうか、そんなことをふと思いました。そしてこの先生の「授業」に出てみたいとも。またいつかドストエフスキーを読むという企画を八木ヶ谷さんが設けてくださるとうれしいです。八木ケ谷さんのお話を今度はもっと聞かせてください。
(高秀美(コスミ))

●在日との連帯を深めた集会参加

 

 「国際交流」「国際連帯」―それはどういう意味だろう? 支配階級が支配の維持・強化のために国境や国籍や民族などによって民衆を差別・分断してくるのに対し、民衆が団結し連帯してそれを突き破っていくことではないか。かつてマルクスとエンゲルスが言った「万国の労働者、団結せよ!」(『共産党宣言』)ということだと思う。
 私は「国際連帯をめざす11月労働者集会」に今回も、在日朝鮮人の鄭宗碩(チョンジョンソク。67歳)さんと一緒に参加しました。全国の労働者の叫び、三里塚農民や法政大学生の訴え、韓国・アメリカ・ブラジル・ドイツの代表の発言、また難民申請中の在日・滞日人民の訴えなどが胸に響きました。鄭さんは友人二人を誘って参加、デモの解散地で韓国民主労総としばし歓談、関東大震災時の朝鮮人大虐殺のことなども話していました。
 それぞれの感想です。「これだけの人が集まるとはすごい。日本と世界の労働運動・革命運動がどういう方向に進むかを感じた。民主労総の皆さんと直接話せて良かった」(鄭さん)「総評がつぶされたあとは労働組合が資本の手先になってきたが、きょうはマルクスの言葉が出てきて本当に感動した」(在日の男性。70代)「日本人がどれくらいのことをやれるのか、と思って来たが、私の気持ちを奮い立たせ、連帯感を強く感じた」(来日中のソウル在住の女性。50代)
 在日の皆さんとの友情と連帯をさらに深めた一日でした。
(片岡)

● わたしの国際交流「ひとつになってたたかう希望と代案」
(2009年11月 ソウル)@


 昨年に引き続き、動労千葉とともに訪韓団の一員として、韓国民主労総大会に参加しました。なぜ、韓国の労組大会に?と思われるかもしれませんが、実は2005年から始まった労働組合や労働者の交流が日韓、そしてアメリカの国際会議までにも広がっているからです。11・8民主労総の5万人集会は、「烈士の精神受け継ぎ!!」というものすごい熱気でした。「専従賃金廃止」「複数労組窓口1本化」の法案、龍山(ヨンサン)闘争、サンヨン自動車の闘いなど「殺人解雇」と労働組合の組織破壊攻撃を、どてっ腹に突きつけられたのに対する怒りが地から湧き上がるように発せられた「イミョンバク政権打倒」集会でした。
 集会後の交流会では、公務員労組のソウォンソンさんや、昨年8・15集会に来日し、強烈なインパクトの講演をしていただき感激した、シャイな大学労組のチョヒョンホさんとも再会。手書きのハングル名刺を渡しました。
 昨年、寒風吹きすさぶ鉄塔上でたたかったへジオンさんが『闘いがないと病気になる』というと、動労千葉の川崎さんが、「闘いにはそういう合間がある。でもまた、次の闘いを見つけていくんだ」と話す。凄い濃い交流!
 次の日、「軍隊慰安婦」の住む「ナヌムの家」を訪ねる。まず、地下鉄でカンビョンまで行き、そこからバスに乗り『パラダイスアパート』で降りタクシーに乗る。家は山の中腹にありました。写真で見慣れた、地から立つハルモニの胸像、そして真新しい家が目に入る。ハルモニたちは明るいテラスで昼ごはんを終え、ゆるゆると足を引きずりながらエレベーターに乗っていくところでした。「かあさんは『朝鮮ピー』と呼ばれた」の本を思い出しながら、資料館を、緊張しながらじっくり見学。翌日の日本大使館への闘争に参加しようと思いながら、次のヨンサン闘争の現場へ向かいました。
【次号に続く】(伊藤)

●「入管収容所」の闇に光を A

入管収容所には、送還になれば厳しい迫害を受けるおそれのある難民申請者や、結婚や子どもの養育の問題、労災や賃金未払い、日本にしか生活基盤がないなど、様々な問題を抱えた滞日・在日外国人が収監されています。被収容者は一日を管理・監視され、その日の大半を一部屋5〜10人の狭い居室内で、生活慣習や言語、政治的背景が異なる人と過ごさなければなりません。こうした収容環境は、彼らのストレスを増大させ、疾病を引き起こし、悪化させる原因となっています。
 私が10月に品川収容所で面会した男性は、3人に抱えられながら面会室に現れました。労災と病気の悪化で体重が20Kgも激減し、自力歩行が困難にもかかわらず、入管当局は車椅子の使用や専門医への受診も認めていません。被収容者たちは、口々に施設内医療への不信と怒りを訴えていました。法務省データによると昨年比2倍の収容がおこなわれています。密室での人権侵害を許さないためには、被収容者の声を外へ伝えていく取組が大切です。【続く】
(荒川)

● 危険な幼保一元化

 いま、子どもで保育園に入れない「待機児童」が大きな社会問題となっています。根本的な理由は大恐慌です。これまで家庭にいて子育てをしていた女性が「子どもを保育園にあずけて働かなくてはならない。あずかって欲しい」と当然の要求をしているからです。「保育園にはシングルマザーの方が入りやすい」からと離婚を真剣に夫婦で話し合っている(12月9日『日経新聞』)という深刻さです。
 日本政府はこの状況を「幼保一元化」で乗り切ろうとして、定員割れをしている幼稚園と入所希望が急増している保育園をいっしょにして入園者を増やそうとしています。子ども一人あたりの面積や人員を自治体の裁量で減らしてもいいとか、文科省のもとにある幼稚園と厚生労働省のもとにある保育園を「縦割り行政の弊害」とやり玉にあげ、規制を緩和したり、民営化で対応しようとしているのです。保育園に働く労働者は「これ以上、職員を減員すれば責任ある保育はできない」と危機を訴えています。
介護と福祉を要求する杉並住民の会
 事務局長・長谷川ひでのり


● 「もくれんの家」(2003年発足)の国際交流活動

毎月第2土曜日の「ニーハオ+アンニョン・パーティ」(午後4時〜)
を中心に次のような活動をおこなってきました

2003年10月 中国への友好交流旅行(上海、南京、安徽(アンホイ)省など)
2004年11月 在日韓国人2世・河正雄(ハジョンウン)さんの講演会(「2つの祖国を生きる」)
2005年5月 韓国友好の旅(光州(クアンジュ)、霊巌(ヨンアム)など)【河正雄さんの案内】
   9月 「在日韓民族無縁の霊碑を守る会」の慰霊式に参加(以降、毎年参加)
   11月 中国人留学生・楊志強(ヤンツーチャン)さんの講演会(「中国の少数民族・苗族@」)
2006年3月 尹昌子(ユンチャンジャ)さんの「韓国・家庭料理」教室
   4月 韓国訪問「霊巌に報恩の枝垂れ桜を植える旅」参加
   5月 「清里銀河塾」(主催・河正雄さん)参加   ●10月 「清里銀河塾」参加
2007年5月 韓国「NGOアヒムナ」訪問交流、三・一独立記念館、広州市ナヌムの家を見学
   6月 「清里銀河塾」参加
   9月 韓国・ソウルにおけるシンポジウム「関東大震災84周忌・在日朝鮮人虐殺の
      真相究明と名誉回復のための特別企画」に参加
   10月 千葉県佐倉市の「国立・歴史民族博物館」を見学
   11月 朝鮮通信使祭り(埼玉県川越市)に参加
2008年1月 伊豆大島でニーハオ+アンニョン・パーティ
   3月 韓国・水原(スウォン)におけるシンポジウム
      「1923関東大震災朝鮮人虐殺の真相」に参加
   4月 韓国訪問(光州、霊巌、麗水(ヨス)など)【河正雄さんの案内】
   5月 宋富子(ソンブジャ)さんの「一人芝居[在日三代史]」公演
   7月 中国人留学生楊志強さんの第二回目講演会「中国の少数民族・苗族A」
   8月 関東大震災85周年・朝鮮人犠牲者追悼シンポジウム
      (於・在日本韓国YMCA)に参加
   9月 関東大震災85周年虐殺被害者慰霊祭(千葉県八千代市)に参加
   10月 「ウリハッキョ」上映会(第一回)
   12月 李吉純(リギルスン)さんの講演会(「枝川・ウリハッキョ」)
2009年5月 記録映画「朝鮮の子」上映会
   9月 関東大震災86周年虐殺被害者慰霊祭(千葉県八千代市)に参加
   11月 「ウリハッキョ」上映会(第二回)
      【後援:東京朝鮮第九初級学校 アボジ会・オモニ会・OB会】。
      上映後、第九初級学校で交流会をおこないました
「もくれんの家」は、毎週第二土曜日の午後4時から「ニーハオ+アンニョン・パーティ」をおこなっています。手作りの美味しい料理を楽しみながら、さまざまな社会問題や芸術・人生などを語り合っています。お気楽にご参加ください。
2010年1月 もくれんの家

「もくれんの家」は、今までの「国際交流活動」を4冊のパンフレットにまとめています。
いずれも300円です。どうぞ、ご一読ください


 
(左)枝川ウリハッキョ 2009年11月発行 (右)韓国友好の旅 2005年10月発行(増補版は09年10月)

 
(左)講演「二つの祖国を生きる」 2005年4月発行 (右)中国友好の旅 2004年2月発行

目次【「枝川ウリハッキョ」(李吉純)】
@ 枝川は江戸末期からの埋立地
A 二重三重の圧迫に抗して
B 東京・日本橋で生を受ける
C 1945年8月15日の夜の出来事
D 最初は日本の学校に入学
E 「内藤」で入学したのに「ヤーイ、リーだ、朝鮮だ」と言われた
F 「朝鮮人として生きろ」と枝川ウリハッキョに入学
G 朝鮮戦争に向かう過程は日本革命の前夜
H 民族教育・朝鮮学校つぶしと全面対決
I 小学校6年生のとき「血のメーデー闘争」に参加
J フランス文学の権威=中村光夫の差別発言を糾弾し謝罪させる
K 万国の労働者、団結せよ!
L 在日日本人と在日朝鮮人が手を携えて明るい未来を開こう!

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