ホーム ->活動内容 ->「もくれんの家」会報 第28号


もくれんの家 会報
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子)
東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367

E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp


もくれんの家

会報

●第1号
(2005年1月)


●第2号
(2005年10月)

●第3号
(2006年1月)


●第4号
(2006年4月)

●第5号
(2006年6月)

●第6号
(2006年11月)

●第7号
(2007年1月)

  ●第8号
(2007年3月)

  ●第9号
(2007年7月)

  ●第10号
(2007年9月)

  ●第11号
(2008年1月)

  ●第12号
(2008年4月)

  ●第13号
(2008年7月)

  ●第14号
(2008年10月)

  ●第15号
(2009年1月)

  ●第16号
(2009年1月)

  ●第17号
(2009年7月)

  ●第18号
(2009年10月)

  ●第19号
(2010年1月)

  ●第20号
(2010年4月)

  ●第21号
(2010年7月)

 ●第22号
(2010年7月)

 ●第23号
(2011年1月)

 ●第24号
(2011年4月)

 ●第25号
(2011年7月)

 ●第26号
(2011年10月)

 ●第27号
(2012年1月)

 ●第28号
(2012年4月)

第28号(2012年4月)
●新しい春を迎えて―――
 もくれんの家の「チューリップまつり」


赤、白、黄色とチューリップが咲きそろっています

 もくれんの家では毎年秋に、約200球のチューリップの球根を植えています。桜の花が咲き始めるころ、そろって蕾をふくらませ、次々と咲き始めます。この庭で「チューリップまつり」をおこないます。
 実は昨年も「(ご近所の方に気軽に来てもらえる)隣人まつり」を企画したのですが、直前の3・11震災と原発事故で計画は断念しました。東京の水道水からもプルトニウムが検出され、雨水にも怯(おび)える心境で、とても外で何かをするような状況ではなかったからです。1年たって、原発事故は収束するどころか、汚染水は数10トン単位で海や地下水に流れ込み、汚染された田畑、森、大地、河川は「除染」によっても元に戻りようがありません。生活の術(すべ)を奪われ、家族がバラバラになり、被曝の恐怖にさらされながらの生活が2年目にはいり、ますます重くのしかかっています。日々大量の被曝労働も強要されています。そして放射能被害は国内のみならず世界規模で広がろうとしています。そうしたこれまで経験したことのない厳しい現実に、福島の人々は挫(くじ)けず、あきらめず、「子どもの命を守れ」「故郷を返せ」と声をあげ続け、再稼動を阻止し、原発をすべて止めるところにまで追い込んでいます。もくれんの家は、声をあげられずにいる人々の気持ちとも繋(つな)がりながら歩んでいきたい。「チューリップまつり」はそんな思いも込めておこないます。
 いま進んでいる無理やりの原発再稼動策動も朝鮮民主主義人民共和国の「人工衛星発射」を口実にした迎撃ミサイルPAC3配備という戦争体制作りも、「人の命より金儲けが優先」と考える権力者の願望に過ぎないのです。
 「フクシマ」で気づいたのは、私たちが政治のこんなやり方に頼ったり、お願いしたりする限り、命も生活も壊されてしまうという事実です。
 この1年たくさんのデモや抗議行動がありました。この力で理不尽な「安全基準」や「補償問題」「責任放棄」を押し返してきました。これが新しい私たちの「主権者=社会の主人公」としてのあり方ではないでしょうか。ウソを見抜き、騙(だま)されず、助け合い、団結して新しい社会を創っていきたいと心から思っています。
(茅原(ちはら))

●今後の予定

●チューリップまつり
 4月14日(土)正午から
 場所 もくれんの家
 会費 こども 100円 おとな 200円

●朝鮮大学校見学と交流会
 5月26日(土)
 西武国分寺線・鷹の台(たかのだい)駅前に正午集合(時間厳守)
 *参加を希望される方は事前にご連絡ください。

●「もくれんの家」の2012年度会員総会
 6月24日(日)午後2時〜
 会場は未定 *決まり次第、お知らせします

●エネルギーの今を知り、未来を考えるために
 『ミツバチの羽音と地球の回転』上映会の報告


 2月12日(日)、セシオン杉並視聴覚室にて、念願の上映会を無事終えることができました。昨年秋に開催を決めたものの会場が決定したのは12月初旬、DVDレンタルの手配をし、チラシの手はずを整えて配布できるようになったのは今年1月に入ってからのことでした。
 各地での集会でチラシをまいたり、ツイッターで呟(つぶや)いたり、口コミだけではない情報拡散も試みました。原発問題にすでに関心を持ち、なんらかのアクションを起こしている人だけでなく、なんとなく不安を感じながらも実態がわからず、未来のエネルギーに対しても具体的なイメージを持てずにいた人びとに見てもらいたいというのが強い願いでした。結果、3回上映、併せて172名の皆さんに見ていただくことができました。
 原発建設を推進する国や電力会社の実態と反対を続ける瀬戸内海祝島の人々の現実、エネルギーの自立に取り組んでいるスウェーデンの人々の暮らし、本当に何度見ても教えられることの多い映画です。「反原発」も「脱原発」も声高に謳(うた)わず、しかし深い意志に裏付けられた鎌仲ひとみ監督の傑作、ほとんど自主上映だけで10万人以上の人々が見たと聞きました。その輪に加われたことをうれしく思いますし、朝早くから夜まで手伝ってくれた12人の仲間たちにも感謝の言葉を捧げたいと思います。
 「何も知らなかった。とても勉強になりました」「これから自分も何かできること始めたいと思う」「ありがとう。とてもよかった! 次はいつ上映会やりますか?」など、様ざまな感動の声をいただきました。次回の予定は今ありませんが、これからも原発のない世界を目指す活動を続けて行きたいと心を強くしました。皆さん、ありがとうございました。
 以下、参加者の感想文を紹介します。
(角取(かとり))

あれから1年、福島を訪れて  稲見直子
 2012年3月11日、友人に誘われ「原発はいらない!福島県民大集会」に参加するため震災後はじめて福島に出かけた。
 郡山の街は以前訪れた時と一見目立った変化はなかったが、街の公園に設置された立派な線量計が示す数字の高さ(東京の10倍以上)に、ここで暮らすことが容易でないことを痛感し愕然(がくぜん)とした。豊かな自然に恵まれ、海の幸、山の幸が豊富な土地なのにも関(かか)わらず、なるべく遠い産地のものを選んで食べていると聞いた。また、街の線量計も低い値が出るように調整されているという話まで耳にした。原発事故発生当初から正しい情報を得ることができず、放射線量の安全基準のバラバラな見解に、人々は自分なりの安全基準を作り、それを信じて生きているようだ。
 翌週、四国・高松で、地元産の野菜、瀬戸内の海の幸を味わいながら、2月の上映会で観た『ミツバチの羽音と地球の回転』の祝島の風景を思い出した。美味しいものを、安心して食べることができる幸せを感じると同時に、福島の事故が2度と起こらないようにしなくてはならないと強く思った。

「いいなあ、行ってみたいな」と言う小2の娘   柴尾裕美
 夫と小2の娘の3人で行きました。生物多様性のホットスポット田ノ浦。貴重な自然だけでなく祝島の生活の場である海を奪ってしまう原発建設。それに対し、強い意志で立ち向うおじちゃん・おばちゃん達が30年近くも闘い続けてきたのは、瀬戸内の海を守ることこそ自分達の生活や自然を守ることだと確信しているからだと思いました。「海は売りません。海を守るために27年間闘ってきたんです」。この言葉に自然と共に生きているという誇りを感じました。
 東京も40年程前は田畑や原っぱがいっぱいあり、自然の中で遊ぶことが出来ました。しかしそれが住宅やビルに姿を変えるのを、便利を理由に眺めているだけでした。地方の恩恵を受けていることを知ることもせず、大量の電力を消費していた都会の生活を、震災と原発事故で気づいたのです。地震列島日本に54基もの原発が有ることも、私も含め多くの人が初めて知ったのではないでしょうか。
 娘が「畑を耕す豚」や祝島の映像を観て「いいなあ、行ってみたいな」と言いました。未来を生きる子どもたちのためにも原発は絶対に無くさなければいけません。
 私たち「小平の会」では『シェーナムの想い』という映画を上映します。多くの人に原発は必要ないということを知ってほしいと思います。

「お前らは上っ面じゃないか!  十亀弘史(そがめひろふみ)
 映画に出てくる痛烈なセリフが記憶から消えません。原発建設のための埋め立て工事船の上から「島の将来を考えて原発を」などと、マイクで「説得」する中国電力の管理者らに対して、祝島の島民が激しい怒りを込めて叫ぶのです。「お前らは上っ面じゃないか!」。原発を造ろうとする「お前ら」は、人が生きるということの根源を逸脱した「上っ面」の生き様しかしていない、という最もラジカルな抗議の叫びです。
 その場面に至るまでに、映画は、島の人たちの長期の不屈の闘争と、自然と一体になった落ち着いた心豊かな生活をていねいに映し出しています。だから、中電に対する「お前らは上っ面だ」という弾劾の底の深さと、鋭さが強く印象に残るのです。
 反原発の闘いは「命より金」の社会を根底から覆す闘いです。映画は、その闘いの具体的な有りよう、そして、原発と人間の人間らしい生活が決して相容れないということを、見る者に鮮やかに示してくれます。
 瀬戸内海をはさんで、上関(かみのせき)のほぼ真南に愛媛の伊方(しかた)原発があります。伊方原発の建設阻止闘争を圧殺するために、どれほど汚い手が使われ、どれほど人々の暮らしが破壊されたのかについては、本会報第27号の「話題の広場」に報告されています。しかし、その闘争は、再稼働を阻止するために、これからこそさらに激しく、広く闘われようとしています。上関にも、私が育った愛媛側の瀬戸内海にも、そして、地球上のどこにも、原発は絶対に要りません。

もう後悔したくない  小川哲史

小川哲史さんは福島の子供たちを
撮影し続けている写真家。当日作品を展示した
facebook.com/takaramono.fukushimaで見られます。


 福島第一原子力発電所の事故で放出された放射能は、私の故郷の福島市にも大量に降り注ぎ、人々は様々な不安を抱えながらの生活を余儀なくされています。特に子どもたちの健康への影響が心配されています。
 映画の中で祝島の青年が「中電は帰れ!中電は帰れ! 中電は帰れ!」と、強引に原発の建設工事を進めようとする電力会社に向かって、雨に濡れながら叫び続けるシーンが印象的です。強大な権力に屈することなく、未来を自らの手で掴もうとする彼の姿は美しく、涙がこぼれました。後悔の涙でもあります。
 私を育ててくれた福島の山と空と海を子どもたちに手渡すことが出来なかった。
 なぜ自分は無関心でいたのか、なぜ自分は声をあげてこなかったのか……。
 私はもう後悔したくない。子どもたちをいかに守り、子どもたちに何を残せるのか考えていきたい。福島に寄り添いながら。

話題の広場
 福島原発事故に思うD
 確かに17地点で54基造られたが、同時に26地点で原発を阻止した!

  
原発建設を阻止したところ  列島をとりまく原発・核施設
(2010年6月末現在)

 福島原発の核爆発大事故から一周年の3月11日、私は福島県郡山市で開催された「原発いらない!福島県民大集会」に参加した。3月26日、東京電力の原発全17基が止まったこの日は「柏崎刈羽原発をただちに廃炉に」というゼッケンをつけて東電本店(東京・新橋駅前)への抗議行動に参加し、4月7〜8日は青森での「止めよう再処理・六ヶ所村内デモ」に参加してきた。全原発の全面停止は目前だ。
 「原発がなくても市民生活は全く困らない。逆に、原発があるからこそ命が脅かされる」ということが事実をもって完全に証明される日が近いことに恐怖する資本家とその政府は、原発輸出と日本の独自の核武装(実はこれが原発の根幹の目的だ)のために、なんとしても原発を再稼動させようと策動している。これを断じて許さず、政府と東電の責任を徹底的に追求し、全原発の廃止・廃炉を実現しよう。
 さて、「いつの間にやら原発が54基」ともいわれているが、今回はこれについてひとこと述べたい。確かに17地点では力及ばず建設されたし、柏崎刈羽原発建設反対運動に当初から参加してきた私はずーっと悔しい思いをしてきたが、同時に、それ以上に建設を阻止してきたことも知っていただきたい。中国電力・豊北(ほうほく)原発(山口県)、四国電力・窪川原発(高知県)、中部電力・芦浜原発(三重県)、東北電力・巻原発(新潟県)など実に26地点で建設を阻止し、再処理工場も4地点で阻止したのである(右図)。祝島の島民と同じように地域上げて粘り強く闘い、「核の平和利用」というウソとデマ、金と国家暴力を粉砕し、しがらみを克服して勝利したのである。ここで強調しておきたいことは、これらの闘いは(建設されたところも含めて)、いずれも沖縄や三里塚(成田空港反対闘争)と連帯して闘ったというまぎれもない事実である。全原発の廃炉に向けて「3・11までの反原発闘争の歴史と、その教訓」を学ぶことが大切ではないだろうか。(続く)
(片岡)

●「在留カード」の導入に反対します

 本年7月9日から施行される、2009年の入管法改定に基づく新たな在留管理制度・「在留カード」導入に反対しましょう。
 新しい在留管理制度は、従来の外国人登録法を廃止し、日本に住む210万人の外国人を法務省出入国管理局(入管局)が一元的に「管理」するというものです。新制度の柱は、ICチップ付きの在留カードの導入です。@中長期在留者(3ケ月以上の在留資格者)に交付されるのが在留カード。このカードには、過去の違反・犯罪歴などを含む詳細な個人情報が記録され、常時携帯義務を課す。A特別永住者(在日朝鮮人・中国人)には、IC「特別永住者証明書」が交付され、提示義務があります。さらに「外国人住民票」が作成されます。@Aとも厳しい届出義務が課され、受領拒否や提示拒否、更新遅延などで摘発されれば、罰金や懲役が科せられ、在留資格の取り消し、収容・退去強制にも結びつきます。他方、B難民申請者を含む非正規滞在者は、はじめから法外の存在として排除されています。外国人登録証の廃止で、一切の公的証明(身分を証明するもの)を奪われ、健康保険など住民サービス的なものも受けられない、子供たちは学校にも行けないとなる可能性があります。これでは日本では生きていけなくなってしまう! このように、新しい入管体制は戦後の入管体制の根本を変える歴史的な改悪です。「高校無償化」の適用からいまだに朝鮮学校だけを排除していることにもみられるように、差別と分断の外国人政策も強化されていますが、怒りの声は充満しています。指紋押捺拒否闘争をともに闘ったように、在日・滞日外国人と一体となって、在留カード導入反対の声と行動を強めていきましょう。
(荒川)

外登法・入管法と民族差別を撃つ全国研究交流集会
(新たな入管体制をゆるすな!「在留カード」粉砕!)
●4月22日(日)午後1時〜
●横浜開港記念館(横浜市中区本町1丁目6番地)

●自宅介護のかたちD
 「判断」というキーワード

 昨年4月に、介護老人健康施設(老健)を退所し自宅に帰ってから、八木ヶ谷代表の生活は、ドッキリ+ヒヤリ!もありながら「チーム八木ヶ谷」の力でなかなか順調に進んでいました。(掲載@〜C)。
 全介助とはいえ、朝はパジャマから服に着替え、トイレにも行き、入浴もでき、食事もテーブルについてしっかりとることができていました。年明け2月からは入浴付きディサービスの回数も増やし、月4〜5泊のショートステイも決まっていました。これで自宅介護をしながら私も「少し余裕も出来、自分のやりたいことに時間が取れる」と胸ふくらましていました。
 しかし、「最悪の事態」は突然、ほんのちょっとした不注意から始まりました。そしてその事態に対する「判断」と対処ミスから。
 最悪の事態とは、「転倒―大腿骨骨折―入院―寝たきり」です。車椅子に座って、時には手すりにつかまって立ち上がれるほど元気が出ていた妙子さんは、ちょっと目を離した隙(すき)に一人で立ち上がり、足を滑(すべ)らせてそのまま床に座り込んで、右足を打った様子。その時は、痛みの訴えはそれほどありませんでした。これで安心したのが「判断」ミス@。その後、ちょっとした体の動きで「痛い」ということがありましたが、腫(は)れも無いし、立ち上がれているから「筋肉痛かな」と見逃し。これが「判断」ミスA。そのうち立位が不安定になって来たのですが、骨折とは思わず、「病院へは行かなくてもいいだろう」と考えました。これが「判断」ミスB
 しかしやがて、痛みは増し腫れも出て、やっと整形外科に連れて行った時は、素人目にも明らかに「骨折」していました。おそらく、足を打った時にヒビが入り、それが、立ったり動かしたりの圧力で骨折に進行したのでしょう。けれど、高齢であり手術のリスクを考えると、「このまま痛みが和らぐまで安静にするしかないでしょう」という医師の指示に従いました。
 自宅介護も一旦停止せざるを得なくなりました。ただいま入院中です。元気になって戻って欲しいと回復に努めているところです。
 高齢者はちょっとした不注意から大事(おおごと)になっていきます。痛みや苦痛の訴えもうまく出来ないこともあります。「丁寧な介護と、変化に気づき、もしもの時は早めに病院へ」が大切な心得と再認識しました。
(茅原(ちはら))

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