ホーム ->活動内容 ->「もくれんの家」会報 第9号


もくれんの家 会報
NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」(代表 八木ヶ谷妙子)
東京都杉並区阿佐谷北5−27−11 TEL(FAX) 03−3336−5367

E-mail:qqmn9ez9@coffee.ocn.ne.jp

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もくれんの家

会報

●第1号
(2005年1月)


●第2号
(2005年10月)

●第3号
(2006年1月)


●第4号
(2006年4月)

●第5号
(2006年6月)

●第6号
(2006年11月)

●第7号
(2007年1月)

  ●第8号
(2007年3月)

  ●第9号
(2007年7月)

●第10号
(2007年9月)

  ●第11号
(2008年1月)

  ●第12号
(2008年4月)

  ●第13号
(2008年7月)

  ●第14号
(2008年10月)

●第15号
(2009年1月)

  ●第16号
(2009年4月)

  ●第17号
(2009年7月)

  ●第18号
(2009年10月)

  ●第19号
(2010年1月)

  ●第20号
(2010年4月)

  ●第21号
(2010年7月)

  ●第22号
(2010年10月)

  ●第23号
(2011年1月)

  ●第24号
(2011年4月)

  ●第25号
(2011年7月)

  ●第26号
(2011年10月)

 ●第27号
(2012年1月)

 ●第28号
(2012年4月)

第9号(2007年7月)
●「もくれんの家」、2007年度総会(第5回総会)を開催

 6月17日(日)、「もくれんの家」は2007年度総会(第5回総会)を開催しました。八木ヶ谷代表がケガの治療で入院中で欠席、また、14日に理事の高田普次夫さんが亡くなり、少し寂しい総会でしたが、参加者と委任状で総会は成立、@06年度の事業、活動報告、A決算報告、B07年度事業計画、C予算案、のそれぞれが検討され承認されました。

運転協力員さんが参加
 今回、移送サービスを担う運転協力員さんが初めて参加しました。「もくれんの家」の事業の大きな比重を占める「移送サービス」は、本格的な事業展開がおこなわれて、課題が見えてきたところです(4面を参照)。現場で利用者と接している協力員さんからの「協力員をもっと増やそう」「本当に必要な人の役に立とう」などの実感ある意見に耳を傾けました。赤字解消も大きな課題です。

国際交流の二つの報告
 総会の前段では映像を交(まじ)えて、5月と6月におこなった「韓国訪問」と「清里(きよさと)銀河塾」の報告がありました。今年度もニーハオパーティを続けながら、新しい出会いと交流を広げていきたいと思います。

高田普次夫さんを偲(しの)ぶ
 高田さんは「もくれんの家」の発足当時から熱心な理事でした。会の活動を心から喜び、発展のためにいろんなアイディアを出していただき、もり立てていただきました。「共に生きる国際交流と福祉の家」の名刺で入管のかたくなな態度が和(やわ)らいだという「武勇伝」が参加者から紹介され、偲びました。高田さん、本当にありがとうございました。

韓国料理で交流会
 総会終了後、大久保の韓国料理店「てじまうる」で交流会をおこないました。オーナーは5月の韓国訪問を企画し案内してくださった方です。二次会から参加した人も含め12人が焼き肉、サンチュ、ビビンバなどをいただきながら大いに語り合いました。(茅原)

●5月、韓国の子どもたちを訪ね、「独立記念館」を見学

 去る5月10日から4日間、八木ヶ谷代表とともに韓国を再訪してきました。目的はソウルから南東へ車で約1時間の安城(アンソン)市に本部のある「NGOアヒムナ」を訪ねること。
 昨年の夏、代表は東京都檜原村(ひのはらむら)で開催された日韓の子ども達が交流するキャンプに講師として招かれましたが、その韓国側の共催団体が「アヒムナ」でした。「アヒムナ」とは韓国語で「子ども達の力で作る国」を略した言葉です。ぜひ、もう一度、あの子ども達に会いたい、という願いが実現しました。

 アヒムナには中高課程の教育を担う「平和学校」、子ども達のための保護施設「けやきの村」、国内外の人々の交流の場「アジアハウス」があります。今回は「アジアハウス」に宿泊し、子ども達と交流し、活動の中心となっている金鐘洙(キムジョンス)牧師等と語り合うひとときを過ごすことができました。

 現在「けやきの村」で生活する子ども達は13人、なんらかの事情で親とともに暮らせない子ども達、なかには脱北後、親は中国で働き、ひとりでやってきた子どももいます。韓国語は話せないものの、「共に生きる」ことの喜びと大切さを語りかけるハルモニ(韓国語で「おばあさん」)、八木ヶ谷代表に子ども達は深い絆を感じるようです。なかでも脱北者のひとりであるという年齢(12歳)のわりにはとても小柄な少女ジョンスちゃんが、かたときも離れずに代表の手を握っていたのは印象的な光景でした。
 またアヒムナの皆さんの案内で、1919年の激しい独立抵抗運動の拠点のひとつであった安城市の3・1独立記念館や、広州(クァンジュ)市(ソウル郊外)にある従軍「慰安婦」歴史館(ナヌムの家=かつて「慰安婦」であることを強制された女性たちが住んでいます)などを訪ねることもできました。

独立記念館を見学。日本の過酷な植民地
支配とたたかった韓国・朝鮮人の不屈の
姿が克明に描かれていた。

 短期間ながら充実した今回の旅の最終日はソウルに場所を移して、九州・福岡で長年「強制連行」について調べ発言を続けてこられた、今年81歳になる大野節子さんの著書『筑豊(ちくほう)物語』出版記念会に参加。
 この本は、大野さんが歴史の事実を子ども達に伝えるために作った紙芝居「日韓併合と筑豊」がアヒムナのメンバーの眼にとまり、韓国で一冊の本として出版(韓日両国語表記)となったもの。「アジアハウス」に共に宿泊した大野さんと語り合う機会もあり、様々な歴史とそれを心に刻んで活動する人々の軌跡(きせき)をたどる旅ともなりました。(角取)

●宮川珠子(みやかわたまこ)の世界旅行B
 (英国その3)

『会報 もくれんの家』の6号(2006年10月発行)から始めたシリーズの3回目は、イギリス編の最終回。インヴァネスからエジンバラ、ロンドンを経て日本へ帰国するまで、です。

 笛のピーッという合図でインヴァネス駅を午前10時52分に出発、エジンバラへ向かいます。単線のため時々、5分、10分と停車しながらエジンバラ駅に着いたのは午後2時15分でした。
 エジンバラは街全体が世界遺産らしく、石造建築が多く、道幅の広い重厚な大学街です。孫娘が通っていたエジンバラ大学は750年の歴史を持つ総合大学とのこと。その大学時代の友達の家を訪ねました。スペイン出身の明るいお母上の手作りケーキ、心のこもった夕食、そして食事のあとはスコットランド出身のお父上(石油関係の商社マンで世界中を歩いている)のバイオリン演奏、さらに中国やニューギニアなど他の国々の弦楽器の演奏にと、大歓迎でした。この日はその家で一泊。翌日は別の友達のマンションを訪問。とても中身の濃いエジンバラ滞在でした。ところで、当地の人々の共通の習慣らしく、お客様を迎えると、必ず各部屋やバス、トイレ、キッチン、寝室、収納箇所など、全部開けて見せてくれるのです。これには驚きました。孫は、大好きなエジンバラを私に見せたかったらしいのです。
 翌8月18日午前10時すぎに列車でエジンバラからロンドンへ。途中、広々とした草原に羊(ひつじ)の放牧が望まれました。ロンドンに近づくと水上生活者の船が3隻見えてきました。その日は孫娘のロンドンのアパートに宿泊。
 19日は土曜日。午後の市場は買い出しの人々で大変なにぎわいでした。リュックいっぱいに買ってきたパンや野菜を使って、アパートの住人4人【大学生3人(スペイン女性、ポルトガル男性、私の孫娘)とポルトガル出身の社会人男性】と一緒に美味しい夕食を楽しみました。
 ロンドンは朝早く晴れているとお昼前後には曇ってくるし、朝曇っていても日中は晴れる、ということが多いそうです。また、面白いと思ったのは、当地の人々は、外出するときは部屋に鍵をかけないのです。反対に、部屋にいるときは中から鍵をかけるのです。留守の人の部屋に平気で洗濯物を干すのには驚きました(かつて、フィリッピンのボホール島に行ったことがあります。この地の人々は自分の部屋を出るとき、一家の中でありながら必ず鍵をかけて出るのには驚いたことを思い出しました。平和な田舎の家なのに、どの窓も鉄格子になっていることにも驚いたものでした)。
 8月22日、いよいよ日本に帰る日です。正午に、テムズ河畔の桟橋からリバーボートでウエストミンスターまで行き、セントジェイムズパークの芝生に座って昼食。そのあと地下鉄で空港へ。そこで孫娘とはお別れです。
 飛行時間12時間。8月23日、関西空港経由で無事帰宅しました。英語もしゃべれず、疲れやすいこの祖母を、2週間も、よくもよくもイギリスまで連れて行ってくれたものだと、旅行中の心使いなどなど感謝感謝の気持ちでいっぱいの私でした。(みやかわたまこ)
【イギリス編、終わり。次回はエジプト旅行記です】

●浅川兄弟を育(はぐく)んだ八ヶ岳(やつがたけ)山麓
  ――第3回銀河塾に参加して――
           牧江(まきえ) 寿子(ひさこ)

 今回の塾の一日目は「たくさんの気(き)をもらってください」という塾長・河正雄(ハジョンウン)さんのガイドで野辺山高原、平沢峠、海岸寺、浅川兄弟資料館、浅川家の墓地等をバスでまわりました。このバスツアーと講演、交流会を通じて日本が朝鮮を植民地にしたという歴史のなかをさまざまに生き抜いてこられた方々の生き方を学び、深く心ゆさぶられました。
 海岸寺は海抜1000メートルの緑豊かな山の中にあり、木彫や石仏など文化の香り高く、中国や朝鮮との関係もしのばれるお寺でした。
 海岸寺から美しく手入れされた棚田が続き浅川兄弟の生誕の地、資料館のある高根町に降りて来ました。
 小沢さん(浅川兄弟の映画制作事務局長)は「高根町地域は江戸時代は豊かな農村だったが、明治政府になって山梨県が入り会い地(いりあいち)までも天皇に献上(けんじょう)したため、山野は荒れて農民の暮らしは困窮し、農民達の政府に対する怒りや抵抗が沸き起こっていた。そういう背景が日本の植民地下に生きる朝鮮民衆への共感となり、権力を批判する浅川巧(あさかわたくみ)ではないか」と語られました。
 また資料館の清水さんも浅川巧さんの日記には「非国民」といわれるようなことが書かれていると語っておられます。
 今の課題とつながって私の友人の根津公子(中学校教員)さんは「おかしい事はおかしい」と言い、「君が代」の強制に反対して不起立を続け、来年3月には解雇されるかもしれない状況に立ち向かっています。浅川巧さんと根津さんの思いが時代を超えてひとつに重なります。
 芸術、歴史、今の課題といろいろな分野を学び、「ひびきあう心」を深めて行きたいと思います。あふれる課題と意欲をいただいた銀河塾でした。

●移送サービスにあなたの力をお貸しください

 移送サービスの一週間
走っている車は福祉車両(車イスのまま乗れる車)4台、乗用車6〜8台です。運転協力員さんは10〜12人で、真心こめて安全運転につとめています。利用される皆さんは約50人で運転回数は一ヶ月100〜120回。一日おきの透析の患者さん、リハビリ通院の方、定期的通院、入院待ちの検診、通学など、ほとんどの方が「命にかかわる移動」のために利用されています。「本当に助かります」の言葉がボランティアさんを支えています。  
 力をお貸しください
 しかし、運営は厳しく、補助金を受けながらも赤字です。しかも、排ガス規制でこの7月中には車の買い換えが迫られています。一日だけでも運転協力していただける方、また資金援助をしていただける方、ぜひご協力ください!      

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